就職氷河期の閉塞感は、市場競争に対する支持を失うという意味で非常に大きな問題点をはらんでいる--大竹文雄・大阪大学教授
一般の人から見ると、経済学者と財界の代表は同じだと思われたのではないかと思います。そういうことで、反大企業と考える人たちは市場も嫌うのではないかと考えています。
日本人は運、才能、学歴において実態と価値観のギャップがかなり広い
次にお話ししたいのは、なぜ小泉政権のときにあれだけ所得格差の格差論議が高まったのだろうかという議論です。
私は所得格差の研究をずっとやっていますが、少なくとも小泉政権のときには所得格差はそれほど拡大していないというのが事実発見です。確かに全体の所得格差は高まりましたが、多くは人口構成の高齢化で説明できるというのが、私の発見でした。
その後、00年代に入ってから少しずつ貧困率が高まってきたということは事実ですが、際立って所得格差が拡大したというわけではありません。それにもかかわらず、格差拡大議論が多くの人たちの賛同を集めたのです。
それはなぜかということについての意識調査が大阪大学のCOEデータです。
04年から調査していますが、06年の調査で所得格差の決定要因と、本来はどういうものが所得を決めるべきなのかという価値観について質問をしています。そして、日米でどのように回答が異なるのかを明らかにしました。
まず、努力や運、才能、育った家庭環境、学歴、これらが所得を決めているのかどうかについてイエス、ノーで聞きました。日本とアメリカで似ているところもあり、たとえばアメリカでは、所得の決定要因は努力だと思っている人が圧倒的に多い。日本は、アメリカほど多くはありませんが、7割ぐらいはそのように答えています。
運が決定要因かどうかについては、この年のデータでは、やはり日本人にそう感じている人がかなり多い。比率で見ると、アメリカのほうが努力を大事にし、日本のほうが相対的には運が大事だと思っているのです。
日米で違うのは学歴です。実際に、学歴間の賃金格差はアメリカのほうがはるかに大きいので、それと対応しています。そのほかアメリカでは才能で所得が決まっていると思っている人が6割もいますが、日本では3割しかいません。
本来はどういうものが所得を決めるべきなのかという価値観で見ると、日米で随分違いがあります。
日本では、努力で決まるべきだと思っています。運などで決まってはいけないと。ほかの要因などほとんど影響してはいけないと思っています。
ところがアメリカでは、たとえば運についてもある程度寛容ですし、才能についてはさらに寛容です。6割の人が所得は才能で決まっていると思っていますし、決まるべきだと思っている人は5割もいます。学歴についても同じです。