ロシアに無知だったEUはソ連のように自壊する ロシアを民主主義の反面教師としてきた欧州のツケ

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ロシアから見れば、侵略的民族はフランス人、そして第2次世界大戦で攻めてきたドイツ人のほうであり、ロシア人ではないのだ。

皮肉な話だが、ヨーロッパとりわけ西欧が、西欧というアイデンティティーを持ち得たのは、このロシア脅威論があったからだともいえる。

ヨーロッパのロシアへの脅威は、自由と民主主義のヨーロッパという一種の信念によって、野蛮な民族から民主主義と人権という西欧がもたらした普遍的文明を守るという、ヨーロッパ人の自負とあいまって、ヨーロッパ中心主義を形成した。それがヨーロッパは統合すべきというEU(欧州連合)を生み出す力になったともいえるのである。

「西欧の統一」とロシアの脅威

ロシアの脅威がツァー体制として存在していた19世紀、共産主義のソ連として存在していた20世紀、それに対抗する西欧の統一というアイデンティティーは、あえて問う必要もないほど、確かなものに見えた。

ところが1991年のソ連邦崩壊、そしてその後のロシアのヨーロッパ接近とEUの拡大によって、ヨーロッパは末広がりとなりながら、ヨーロッパたる求心力を次第に失っていったのである。それは、ロシアという敵がいなくなったことで、自らのアイデンティティーが失われたからだ。

もしロシアがNATOそしてEUに入っていたらどうなっていたであろう。ヨーロッパがロシア人を「文明化し」、西欧の高みにまで引き上げていたら、そのときヨーロッパ人であることの意味は失われていたかもしれない。

ロシアが脅威であることにヨーロッパが気づかなかったのではない。脅威でなくなることを恐れたのである。

ロシアの脅威がなくなると、ヨーロッパはヨーロッパを1つにしていた「民主主義と人権」という意識を失うことになる。反面教師という言葉があるが、ヨーロッパはロシアを民主主義と人権の反面教師とみなすことで、つねに自らを振り返る鏡のような役割を求めていたのである。

だからロシアをヨーロッパの外に置くことを決めたのは、ロシアではなくヨーロッパなのだ。ロシアを脅威にしているのは、ロシア人ではなくヨーロッパ人である。だからこそ、ヨーロッパに入れてもらえると期待していたのに、それが実現できなかったことを嘆くのは、ロシア人のほうかもしれない。期待した「待ち人」は来なかったのである。

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