大谷翔平が「インスタグラムで発信」を始めた背景 目立つことを好まないスター選手の心持ちとは

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例年より102試合短縮されたシーズン。ウイルス感染防止のため同地区内の対戦が中心となり、延長戦は走者二塁から始めるタイブレーク制が導入された。

7月3日。新型コロナウイルス感染拡大の影響で3月中旬に中断したキャンプを、「サマーキャンプ」と題して再開した。

右肘手術からの投手復帰を目指す大谷はブルペン投球を行い、打席で同僚投手の球筋も確認。無観客でポジションごとに時間と場所を区分し、"密"を避けて練習するなど厳戒態勢でのスタートとなった。

大谷「100%の状態で貢献したい」

大谷は翌4日にオンライン取材に応じ、投打二刀流でのプレーについて「しっかり100%の状態で貢献したい。60試合制なので最初から最後まで全力でしっかりと飛ばしていきたい」とフル回転を誓った。

キャンプ中断以降で初めての会見。3日のキャンプ再開までに実戦形式の投球練習を週に一度行い、最多で60球ほど投げていたという。

右肘に負担をかけない投球フォームのテーマは「よりシンプルにしたい」。打者では今春のキャンプでは右足を上げるフォームを試したが、昨季同様上げないとし「(60試合制で)短いですし、飛ばせるだけ飛ばして(投打)両方しっかりやりたい」と繰り返し話した。

7月7日。大谷は本拠地で行われた特別ルールの紅白戦で先発。打者10人に50球を投じ、7四球を与えた。結果は出なかったが、右肘のじん帯再建手術(通称トミー・ジョン手術)前の2018年9月2日のアストロズ戦以来、674日ぶりの実戦登板が無事に終了。完全復活に向けた大きな一歩となった。

登板後のオンライン会見。大谷の表情が少しだけ明るくなった。「問題なく球数を投げられたので良かった。(腕を振る)怖さは特になかった」と素直に投手復帰を喜んだ。

674日ぶり実戦登板。3回50球をメドとし、15球程度で攻守交代の特別ルールが敷かれた。

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初回は四球や暴投で1死一、三塁となって打ち切り。2回は2者連続四球から、ラステラに右中間適時打を打たれ終了した。3回も修正できず、先頭から3者連続四球(レンドンへの死球がボール扱い)を与え、1死も取れず降板となった。

結果だけを見れば散々な内容。だが、この日の収穫は「投げた」ことだ。「もちろん思い切り投げにいっていない。右打者中心で置きにいってしまったのが強い。術後明けの不安というより、そういう面が大きかった」と大谷。

打者と10度の対戦で右打者が8度。抜け球の死球を恐れ、「ブルペンとは全然違う。味方に投げる経験も(2018年のキャンプ以来)ないので、そこら辺は違いがある」と分析する。ジョー・マドン監督も「何も心配はないし、警報を鳴らすこともない」と信頼する。

コロナ禍の影響で現場に行けない私はSNSの映像などでチェックしながら、現地で取材する通信員と意見をすりあわせ、原稿を進めた。

柳原 直之 スポーツニッポン新聞社MLB担当記者

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やなぎはらなおゆき / Naoyuki Yanagihara

1985年9月11日生まれ、兵庫県西宮市出身。 関西学院高等部を経て関西学院大学では準硬式野球部所属。 2008年に三菱東京UFJ銀行(現三菱UFJ銀行)入行後、転職し、2012年にスポーツニッポン新聞社入社。遊軍、日本ハム担当を経て2018年からMLB担当。『ひるおび』『ゴゴスマ』(TBS系)などに随時出演中。Ⅹ=@sponichi_yanagi

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