お笑い芸人も騒然「吉本鎖国」騒動はなぜ起きたか 東京のライブシーンから配信事情まで分析

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一方で、2000年代は芸人主催のインディーズライブが盛況となる中、2004年にK-PRO、2009年にSLUSH-PILE.といったお笑いライブ制作会社が旗揚げされている。また、2007年に芸能事務所SMAの常設劇場「Beach V」がオープンするなど、若手がネタを磨く環境が整った時期だ。

東京のライブシーンは活性化し、事務所の枠にとどまらない交流が加速化していく。こうした中で、バイきんぐ、磁石、流れ星、アルコ&ピース、タイムマシーン3号、かもめんたる、ザ・ギース、三四郎など、後の賞レースやバラエティーで活躍する面々が数多く登場したと考えられる。

他事務所芸人が吉本の劇場に立つように

では、2000年代以降、賞レース関連や「ダイナマイト関西」などのイベントを除いて、吉本興業の劇場に他事務所の芸人が立つようになったのはいつ頃なのか。

筆者の頭には、2010年前後に「よしもと浅草花月」(浅草雷5656会館5階・2015年閉館)やルミネtheよしもとで開催された“プロダクション人力舎×吉本興業の合同ライブ”がもっとも古い記憶として残っている。

当時は「キングオブコメディやラバーガールがルミネに出演する」ということそのものが珍しくインパクトがあったのだと思う。ちょうど「キングオブコント」がスタートして間もなくの時期であり、吉本側は実力派コント師が揃う人力舎から何かしら吸収しようとしていたのかもしれない。

その後、2010年代にデビューした若手は、当たり前のように吉本興業の劇場に出入りするようになった。

そのうちの1組であるかが屋(マセキ芸能社)の加賀翔は、そのきっかけについて2022年8月25日にFRIDAY GOLDで公開された「コント職人・かが屋が明かす『他事務所芸人との交流が生む刺激』」の中で「僕らの場合で言うと、最初の最初はナイチンゲールダンスとかが呼んでくれたりしました。あと、やさしいズさんとか空気階段さんとかもそうです」と語っている。

加賀はNSC大阪校に通っていた時期がある。上京後、賞レースの予選などで吉本の芸人と顔を合わせるようになり、NSCの中退生ということもあって交流を深めやすかったのかもしれない。

この件について、GAG・福井は前述の記事で「僕らぐらいの世代からするとあり得ないというか。昔は他事務所の人たちに場所を貸すってこともなかったし、『その人たちが売れるようなことをすんな』みたいな風潮がちょっとあったと思うんです。今はそれがもう許されてて、みんなで頑張れよってなってる」と若い世代を羨ましがっていた。

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