ヨーカドー、大量撤退で「無責任」批判なぜ起きた 「地元の商店街をぶち壊したのに…」の声の"誤解"
では、こうした認識はどこから生まれるのか。重要なのは「交通」である。
この記事では、「商店街」を理想の街とする人々の考え方に、「自動車」という交通手段が登場しないことにも触れ、そうした人々の「街」観が「歩行ベース」のものなのではないか、とも書いた。
しかし、現実には、日本国民全体の車の保有台数は歴史上、現在がもっとも高く、多くの商業施設が国道沿いに誕生している。街の形が、線上になっているのだ。
その一方で駅前を中心とする歩行ベースの都市は(シャッター商店街が顕著に表しているように)、衰退している。
実は今回のヨーカドー問題についても、こうした「自動車」と「歩行」の問題は顔をのぞかせている。ヨーカドーが撤退する地域について、「別にヨーカドーがなくても車で少しいけばいくらでも商業施設はある」という意見が見られたからだ。
もちろん、高齢化社会が進み、免許を返納する高齢者が多くなってくることも踏まえる必要はあるし、それはそれで解決しなければいけない問題だが、たしかに駅前からヨーカドーがなくなったとしても、ロードサイド沿いの店舗で買い物をする、という選択肢もある。
実際、駅前から少し離れれば、今回ヨーカドーが撤退した北海道、東北、信越でも、ショッピングモールをはじめとする多くの商業施設が立ち並んでいる。
その意味でも、イメージする「街」観のズレがこうした批判を生ませるのだ。
結局、すべてを決めるのは「顧客」
最後に、補足的に重要なことを述べておこう。
近年、商店街が衰退してきたことに対しては、さまざまな理由が指摘されている。その中でも多く語られるのは、結局、商店街自体が顧客にとって魅力あるものでなくなってきた、ということだ。
中小企業診断士の鈴木隆男はこの点について、商店街の「外の敵」、ではなくて「内の敵」がその衰退の要因の一つになっていたという(東京都中小企業診断士協会のサイトより)。
また、中沢孝夫は『変わる商店街』の中で、商店街にある店が「地域独占」で、ある種の「殿様商売」的になっていた可能性を指摘する。
共存していた商店街とGMSは、結果的にGMSだけが生き残っていく状態になったが、それは、顧客の好みを敏感に反映していたのが、GMSだったからではないか。イトーヨーカドーは、かつて「顧客理解」に大きな力を注ぎ、顧客の満足度を高めようとしていた(三品和広+三品ゼミ『総合スーパーの興亡』)。GMSに結果的に客が流れたのは、顧客ニーズを的確にくみ取ったゆえだろう。
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