高部さん:思い入れ次第ですよね。
僕はアフガニスタンにいたときはそこまで自軍に思い入れがありませんでした。だから、すぐにきりのいいところで戦場を離れました。
逆にミャンマーで傭兵をしていたときは、「カレン(族)と運命をともにしよう」と決意しました。長くカレンにいたので、仲のいい人たちもたくさんできて、情がうつったというのもあります。傭兵一人ひとり、戦場で「戦う確固たる理由」ができた人は残ります。そうでない人は去る場合が多いです。
たまたま僕は生き残りましたが、どっちが正解だったかは、結果が出るまで誰にもわかりません。
会社が潰れても、拷問されたり死ぬことはない
傭兵はフリーランスだから、
「負けそうになったらケツまくって逃げる」
こともできます。ただ傭兵の世界では“評判”が大きくものを言います。そこが正規軍とは大きく違うところです。
「ちょっと負けそうになったらケツまくって逃げるヤツだ」
と思われるのは、その後の傭兵人生に非常に障害になります。
そのまま逃げて日本に帰ってきて、二度と戦場に行かないならいいけど、再び戦うならば傭兵仲間の信頼を得ることは大事です。
戦場ほどではないにせよ、サラリーマンの世界でも“評判”はあるんじゃないでしょうか? サラリーマンはたとえ会社が潰れても、拷問されたり、死んだりすることはありませんから「会社にいたい気持ちがある」ならば、いていいと思います。
高部さん:日本社会ではあまり美徳とされないかもしれませんが、傭兵社会では物事をハッキリ口に出します。感情もぶつけます。それは自分だけではなく、仲間の命も関わってくるからです。
僕はアフガンで少年兵を13人トレーニングすることになりました。約1カ月後、上からは
「そろそろこいつら戦場出していいか?」
と打診されました。僕は、
「ダメ! まだ戦える段階ではない」
と断りました。連日断っていると、周りからは、
「こいつ怖がっているのか?」
と揶揄されましたし、少年兵自身も、
「戦場に出たい」
と言い出しました。段々、隊の中で孤立していきました。それで、心が折れて、OKしました。結局、トレーニング半ばで前線に行くことになり、戦闘で5人の少年兵が死にました。
「上からのプレッシャーに耐えきれなかった」
「自分の納得のいかない決断をしてしまった」
とても後悔しました。それ以来、自分の意見はハッキリ言うようになりました。納得がいかないときは絶対に「NO」と言うようにしています。
セクハラ、パワハラに対してNOというのは怖いしつらいことだと思いますが、YESと言ってしまうとさらにエスカレートしてしまいがちです。反撃するのは勇気がいることですが、はっきりと自分の意見を言うのが正解だと思います。
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