わが子に障害があったら仕事はどうなる? 母親は育休から復帰できるか

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その後中村さんは、短期大学で幼児体育の非常勤講師の仕事を紹介される。自分が専門とする分野で、念願の仕事を手に入れた。二女は、体が細くて知的な遅れもあったが、体力もついて保育園にも問題なく通えるようになっていた。そんな充実した日々の中で、ある思いが湧き上がってくる。

それは、子どもが元気になったからといって、自分がやりたいことだけをやっていていいのだろうか、ということだった。二女のことで手いっぱいだった頃、積極的に長女の世話を買って出てくれた近所の人たち。働き始めることについて背中を押してくれた着付け教室の講師や保育士。お世話になった人たちにお礼も言っていない気もしていた。

そこで、地域の母親が子どもを預かり合いながら、体を動かしてリフレッシュできる育児支援団体「すこやかライフサポーター」を設立。さらに、発達障害や多胎児、ハンディキャップがある子どもの母親をサポートする支援団体「プリズム」を2013年に設立した。「かつての自分のように、大変な思いをしているお母さんを支えたい。そうしたお母さんたちの“声にならない声”を発信していきたいのです」

助け合える仲間がいる心強さ

保育士を育成する専門学校の増加に伴い、中村さんの非常勤講師の仕事も増えてきた。仕事の合間を縫って団体の活動も活発に行われるようになった。そんな忙しい日々のさなかに、ある事件が起こった。子どもたちとのレクリエーション中に腕と足を骨折。そして2カ月間の入院生活を余儀なくされたのだ。

家族の食事や長女の塾・習い事の送迎、二女の服薬管理など、家の中でも担っている仕事は山のようにあった。夫も精いっぱい協力はしてくれるが、それでも限界がある。どうするか。

途方に暮れた家族を助けてくれたのは、近所の友人たちだった。すぐに友人らでチームが結成され、子どもの送迎担当、食事担当などシフトが組まれたのだ。おかげで夫は欠勤することもなく、高齢の両親の手を借りることもなかった。

骨折事件によって作成されたシフト表。毎週火曜日は家主不在の自宅でサポートメンバー全員が夕食をとりながらミーティングをしていたという

「二女は日頃から地域のいろんな人に会わせて、コミュニケーションをとるように心がけていました。てんかんを起こした現場に居合わせた友人もいます。最初はびっくりしていたけど、一度見ると、『ああ、これくらいで治まるんだね』ってわかってもらえた。だから彼女たちには、二女の面倒を代わってあげられるのは自分たちだという使命感があったのかもしれません」(中村さん)。

2015年4月、長女は中学3年生となり、二女は特別支援学校の中学部に入学。そして中村さんは、新たに常勤の専任講師として勤務することとなった。

キャリアの中断を余儀なくされたが、その一方で、障害のある子どもを育てた経験は、先生という自分の仕事に、新たな視点をもたらしてくれたと、中村さんは語る。

子どもを預けて仕事に復帰した当初は、不安もいっぱいだったという。子どもが体調を崩して仕事を休むこともあった。それでも、周囲の助けも借りながら、そのときできることを精いっぱいやることが、次のステップにつながっていった。先が見えなかった日々を経て、再びキャリアを積み上げていく。

横田 敦子 フリーライター・カメラマン

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よこた あつこ

「食育」「福祉」「子育て」をテーマにした書籍や雑誌等にかかわる。一児の母として、育児と仕事のバランスを模索する日々

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