『独ソ戦』著者が解き明かす第2次大戦勝敗の本質 ナチスの命運分けた重点なき「バルバロッサ」作戦

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重点は経済的に重要な地域であるか、それとも、戦略的な目標である首都モスクワなのかをめぐる議論であったが、ヒトラーは後者を拒否し、南方進撃を命じた。

このヒトラーの決断は、モスクワ攻略作戦の発動を遅延させ、首都の奪取を不可能とした致命的なミスだということが、しばしばいわれてきた。だが、今日では、中央軍集団の補給は深刻な状況にあり、グデーリアンのいうような即時モスクワ進撃は不可能であったから、同軍集団南翼にあり、しかも鉄道線の占領・修復が比較的進んでいた戦区に位置していた第2装甲集団を南下させることは、唯一実現可能な選択肢であったとする説が有力である。

しかし、モスクワこそがソ連の重点であるとのドイツ陸軍首脳部の主張も、「バルバロッサ」作戦立案過程を検討すればわかるように、けっして政治的・経済的な影響力を十二分に考量したものではなかったのだ。

いずれにせよ、ヒトラーの転進決定により、ドイツ軍は再び大きな戦果を上げた。スターリンがキエフ死守を命じ、撤退を許さなかったこともあって、ソ連軍は大損害を出した。9月下旬のキエフ戦終了までに、約45万の兵員を擁する4個軍が潰滅したのである。

「台風(タイフーン)」作戦

ドイツ軍はキエフ包囲戦に勝利し、ウクライナ征服の見込みを確実なものとした。また、この間に北の重要都市レニングラードを孤立させ、包囲下に置くことにも成功している。こうして、東部戦線の南北両翼が安定したのをみたヒトラーは、ついに将軍たちに同意し、モスクワ攻略「台風(タイフーン)」作戦の実施を認めた。

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だが、結論を先取りするならば、このモスクワ攻略作戦は、発動前から失敗を運命づけられていた。ここまでの戦いで、ドイツ軍は弱体化しきっており、首都攻略に必要な打撃力を失っていたからである。季節もまた、泥濘の秋、ついでロシアの厳しい冬と、大規模な軍事行動には不向きな時期に突入していた。さらに戦略的にみるならば、作戦が成功し、モスクワを占領したところで、それがスターリン体制の崩壊、対ソ戦の勝利に直結する保証など、どこにもなかったのである。

12月5日、そうして疲弊しきったドイツ軍将兵に、満を持したソ連軍が襲いかかる。極東から増援されたシベリア師団や、T‐34戦車などの新型兵器を投入しての反攻を支えきれず、ドイツ軍は無惨に敗走していく。

重点なき作戦は、その軽率さにふさわしい結末を迎えたのであった。

大木 毅 現代史家

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おおき・たけし / Takeshi Ooki

1961年東京生まれ。立教大学大学院博士後期課程単位取得退学。DAAD(ドイツ学術交流会)奨学生としてボン大学に留学。千葉大学その他の非常勤講師、防衛省防衛研究所講師、国立昭和館運営専門委員等を経て、著述業。『独ソ戦』(岩波新書)で新書大賞2020大賞を受賞。主な著書に『「砂漠の狐」ロンメル』『戦車将軍グデーリアン』『「太平洋の巨鷲」山本五十六』(角川新書)、『ドイツ軍攻防史』(作品社)、訳書に『戦車に注目せよ』『「砂漠の狐」回想録』『マンシュタイン元帥自伝』(以上、作品社)など

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