『独ソ戦』著者が解き明かす第2次大戦勝敗の本質 ナチスの命運分けた重点なき「バルバロッサ」作戦

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ヒトラーは対ソ戦において、軍事目標よりも、政治的・経済的な目標を重視したとは、しばしばいわれるところである。しかし、この時点のヒトラーは、根拠のない楽観にもとづき、ソ連軍主力が重点であるが、これを撃滅するのはたやすいことで、その後、モスクワほかの重要地点を占領すればよいと考えていたらしい。

しかも、ハルダー陸軍参謀総長以下のOKH首脳部は、ヒトラーの判断には反対だったとする戦後の主張とは裏腹に、その指示を受けて、作戦案を修正した。あるいは、作戦を発動してしまえば、モスクワを最優先目標とするよう、総統を説得できると楽観していたのかもしれぬ。

けれども、このような議論を経ない妥協の結果、先に触れた12月18日付の総統指令第21号ならびに、作戦の詳細を指示した1941年1月31日付の「バルバロッサ作戦開進訓令」は、最重要目標がモスクワなのか、ソ連軍主力なのか、あるいはそれ以外の重要地点なのかを明示しない、曖昧なものとなった。

「バルバロッサ」作戦は、重点を持たない「人格なき人間」になったのである。

先細りの攻勢能力

1941年6月22日、ナチス・ドイツはソ連邦への侵略を開始した。

奇襲により、ソ連機多数を地上で撃滅し、航空優勢を得た空軍の支援を受け、装甲部隊を先鋒としたドイツ軍は破竹の勢いで進撃した。ドイツ軍の侵攻はないと誤断した、赤い独裁者ヨシフ・V・スターリンが、たび重なる現場の戦闘準備要請を握りつぶしていたこともあって、不意打ちを受けるかたちになったソ連軍部隊は、つぎつぎと撃滅されていく。

しかし、こうした戦果も、実は暗い影をひきずっていた。というのは、かくも華々しい進撃でさえも、可能なかぎり国境付近でソ連軍主力を捕捉・撃滅し、奥地への撤退を許さないという「バルバロッサ」作戦成功の大前提を満たすには不充分だったからである。

そのような事態が生じた理由は、いくつかある。ソ連軍将兵は、ドイツ装甲部隊に寸断され、通信・補給線を切られても、いっこうに降伏しようとはせず、頑強に抵抗しつづけたのだ。かような小戦闘での損害は、個々にはわずかなものであったとはいえ、しだいに累積していき、ドイツ軍の戦力を削いでいった。

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