船長はなぜ破滅につながる行動をとり続けたのか? 船長を責めるのは簡単だが、彼が指揮を執っていた背景を詳しく見ていこう。
船長が所属する海運会社は、エルファロを含む複数の船舶を廃船にして、新たに2隻の貨物船を導入する計画を立てていた。
3隻の船が2隻に減るのだ。
そのうちの1隻の船長はすでに決まっているので、残る船長枠はひとつしかない。つまり、船長は実績をあげる必要性に迫られていた。
そして、彼らは昔ながらの「続行」と「服従」というやり方にとらわれた。要するに、計画に異を唱えず、従い続けたのだ。
時代遅れのやり方を上手に実践しても意味がない
エルファロは沈む少し前に警報を発した。その後、探索隊が見つけたのは、巨大な船の残骸だった。
嵐の凄まじさを考慮に入れても、あれほど大きく近代的な船体が沈むとはどうしても思えなかった。だがそれは現実に沈んでいる。現代のテクノロジーをもってしても、時代遅れの思考には歯が立たなかったのだ。
彼らがたどった運命を目の当たりにすると、胸が痛む。彼らは、船員として劣っていたわけでも、悪人だったわけでもない。彼らの命運が尽きたのは、誤ったやり方に従っていたせいなのだ。
そのパターンを私は何度も見てきた。優秀な人が正しいと思うことをやり、悲惨な結果に苦しむ。彼らが思う正しいこととは、時計に従い、服従を強要し、役割に同化し、行動することを優先し、パフォーマンスを第一に考えることだ。
だがそうすると、結果として粗悪な製品が生まれたり、売上の減少や時間の浪費を招いたりする。役に立つことをしているという実感が得られないこともある。身も蓋もない言い方をすれば、誤ったやり方に従っていたら、場合によっては人が死ぬ。
組織で働く場合、個々人にはその制度のなかで最善を尽くす責任がある。そして、個々人がそれぞれのやり方で最善を尽くせるような制度をつくるのは、リーダーの責任だ。
時代遅れのやり方をいくら上手に実践しても意味がない。
私たちに必要なのは、新しいやり方なのだ。
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