そうしたことも踏まえ、岸田首相は19日午前の官邸入りの際には記者団に対し、派閥解散については「他の派閥のありようについては何か申し上げる立場にない」と踏み込んだ言及を避けた。そのうえで25日にもまとめる刷新本部の中間的取りまとめについても「国民の疑念払拭のためのルールについて検討していく」と説明した。
さらに、自民党が検討しているとされる裏金事件での立件などを踏まえた安倍派幹部の処分についても「捜査結果をみたうえで対応を考える」とかわした。
“派閥完全解散”で手続きも、「同志の絆は残る」の声も
そうした中、岸田派ではすでに派閥解散に向けた対応が詰められている。岸田首相周辺は「政治団体を解散し、事務所をたたむ。政策集団としても残さない」と説明。通常国会召集に合わせて、“派閥完全解散”に向けた手続きを進める構えだ。ただ、同派内には「同志の絆は残る」との声が多く、「幹部を中心に緩やかな政策研究グループとして活動を続ける」可能性もある。
岸田派は1957年に池田勇人元首相(故人)が旗揚げし、現在まで67年近い歴史を持つ自民党内で最も古い名門派閥だ。派閥の成り立ちや目指す政策を踏まえて「保守本流」を自認し、大平正芳、鈴木善幸、宮沢喜一各元首相(いずれも故人)を輩出、岸田氏は同派5人目の首相となる。
自らの祖父が池田派結成の有力メンバーだったこともあり、66歳の岸田首相は常日頃「生まれたときから宏池会」と胸を張っていた。だからこそ、政権誕生後もあえて派閥会長を続けていたわけだ。このため周辺は「根っからの派閥人間なのに、伝統ある派閥を解散するというのは余程のこと」(岸田派若手)との当惑を隠さない。
同派は、当時の派閥会長だった加藤紘一元幹事長(故人)とその同志の同派議員らが、2000年11月に起こしたいわゆる「加藤の乱」の失敗で、派分裂という事態も招いた。このため、岸田政権の誕生は宮沢政権以来約32年ぶりとなり、その間は安倍政権をはじめ多くの期間が現安倍派の「清和会」出身の首相となっていた。
こうしたことから、今回の岸田首相の決断は「長年党内で対立してきた安倍派を完全解体に追い込むのが本当の狙いでは」(岸田派関係者)との臆測も広がる。ただ、「そんな理由での派閥解散なら、政治改革どころか自民党内の闇試合として国民の批判を募らせるだけ」(自民長老)との指摘も多く、今後の展開は極めて不透明だ。
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