「デジタルの先」の中心テーマ「自然資本」とは何か 「気候変動」問題以上に深刻な「生態系の危機」

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慧眼の読者にはすでにお気づきの通り、「自然」あるいは「自然資本」、生態系、生物多様性といったテーマを市場経済(あるいはビジネス)の領域で扱う際の難しさは、まさにこの「時間」のスピードの違いあるいは「時間軸」の長短にあると言えるだろう。

つまり市場経済の領域はまず何より短期の利潤獲得を求めるので、長期的な視点と不可分である生態系の保全といったことには主たる関心が向かわず、またその「価値」についても、たとえば森林のもつ生態学的価値といった、長い時間の中で醸成され培われた価値は十分評価されず、短期的な効用によって評価されてしまうのである。

時間をめぐる「市場の失敗」

あるいは、「未来」という視点で考えると、市場経済は基本的に“近い未来”(の利益)には関心を示すが“遠い未来”のことまでは通常あまり考えない。たとえば数十年度の将来世代がどのような世界を生きるかについて市場経済は無頓着であり、先ほどふれた世代間継承性(世代間のバトンタッチ)が「コミュニティ」の本質的な要素であることと対照的である。さらに“森林が数十年後に枯渇する”といったことや、100年先の地球あるいは自然環境に市場経済は大方無関心である。

私自身はこれまでの拙著の中で、こうした事態を“時間をめぐる「市場の失敗」”と呼んできた(拙著『ポスト資本主義』参照)。つまり経済学において「市場の失敗」という概念があり、それは市場が本来の「効率性」(=資源の最適な配分)を達成できない事態を指し、具体的には公共財の提供などの例が挙げられる。このテーマについて、「情報」という概念をそこに持ち込み、“情報の非対称性”から来る「市場の失敗」が存在することを示してノーベル経済学賞を受賞したのがスティグリッツやアカロフだった。

私がここで述べているのは、現状の経済学においてはここで述べているような「時間」の視点が欠落しており――それは「持続可能性(サステナビリティ)」というテーマともつながる――、しかしそこに“時間をめぐる「市場の失敗」”という発想を取り入れることで、自然資本あるいは生態系の保全等をめぐる課題への展望や対応方策が開けてくるのではないかという問題提起である。

ところで以上のような議論からは、そうした「市場の失敗」への対応として公的部門ないし政府の役割が重要ということになるが、もう一つの新たな発想として、そもそも「市場経済=短期」という前提から抜け出し、あるいは「市場経済」のあり方そのものを根本から見直し、市場経済(あるいは企業行動ないし消費者行動)それ自体の中に「長期」の視点を盛り込んでいくという道がありうるだろう。

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