「デジタルの先」の中心テーマ「自然資本」とは何か 「気候変動」問題以上に深刻な「生態系の危機」
「自然資本」をめぐる議論の流れに戻ると、以上のようなシューマッハーやデイリーの先駆的議論が、いわば思想的あるいは理論的な次元を中心とするものであったのに対し、(地球環境をめぐる現実的状況が悪化をたどっていく中で、)それは次第により具体的あるいは実証的、政策的な議論や研究へと展開していった。
それらについて詳述する余裕や知見はないが、代表的な例としては、国連の「ミレニアム生態系評価」(2001年-2005年)の報告書Ecosystems and Human Well-being(邦訳:生態系サービスと人類の未来)や、イギリス政府から出されたThe Economics of Biodiversity: the Dasgupta Review(経済学者ダスグプタの名を冠したいわゆるダスグプタ・レビュー)が挙げられるだろう。こうした実証的・政策的な議論の流れが、近年における(ビジネスの領域を含む)「自然資本」への関心の高まりにつながっているのである。
ちなみに私自身も関与している最近の動きとしては、京都大学に2022年に創設された「社会的共通資本と未来」寄附研究部門において、ソニー・コンピュータサイエンス研究所や日立製作所とも連携する形で、ここで論じている「自然資本」に関する新たな視点からの研究を進めている(昨年<2023年>9月に「自然資本と地域・人間・社会をつなぐ―社会的共通資本の新たな展望(京都大学 人と社会の未来研究院 社会的共通資本と未来寄附研究部門)」と題したセミナーを開催している)。
自然資本をめぐるテーマを考えるための視座
「自然資本」というコンセプトがどのような発想のもとで生まれ展開してきたかを概観したが、ではこれらを踏まえたうえで、私たちはこうしたテーマをどのような枠組みないし視座においてとらえたらよいのか。こうした点に関する私自身の考えを述べてみたい。
「市場経済・コミュニティ・自然をめぐる構造」と題した図をご覧いただきたい。これは私たち人間が生きる世界を把握するための基本的な構造を示したもので、ピラミッドの一番下の土台には「自然」――人間にとっては“環境”でもある――がある。そして人間については、もともと人間は“社会性”が高度に発達した生き物であり、個体単独では生きていけず、何らの「コミュニティ(共同体)」を作って生を営んでいるのであり、これがピラミッドの真ん中の層に対応している。
しかし特に近代社会以降においては、コミュニティから個人が独立していくとともに自由な経済活動を広げていき、そこに「市場経済」の領域が大きく開けていった。これがピラミッドの一番上の次元であり、以上のように、私たちの生きる世界は「市場経済-コミュニティ-自然(環境)」の3層構造からなるものとして把握することができるだろう。
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