母なき家庭に育った式部には、忘れられない父の一言があった。
家で書物を読んでいたときのことだ。弟の惟規が漢籍をなかなか覚えられないなかで、 式部はしっかり暗誦していた。
為時が口にした意外な言葉
漢学者の父ならば、そんな娘をさぞ褒めたかと思いきや、為時が口にした言葉は、意外なものだった。
「つくづく残念だ。この子が男子でないとは、なんと私は不運なんだろう……」(惜しう。男子にて持たらぬこそ幸ひなかりけれ)
まだ漢学が女子の通常教育ではなかった時代だ。為時のような考え方は珍しくなかった。
言われた式部のほうも「女性は漢学の知識などひけらかしてはならない」と、戒めるようになった。一条天皇の中宮彰子のもとに出仕したときには、こんな涙ぐましい努力までしている。
「私は『一』という字の横棒すら引いておりません」
「一」の漢字すらも書けないフリをした紫式部。自身が才女であることをなんとか隠そうとするなかで、式部の心を強く揺さぶったのが、清少納言の『枕草子』だ。
その遠慮がなく言いたい放題の筆致に対して、式部は「利口ぶって漢字を書き散らしている」と酷評。面識のない清少納言の振る舞いを、辛辣に批判した。
そうして清少納言へのライバル心を燃やしながら、紫式部は『源氏物語』の執筆になおいっそう精力的に取り組むことになったのである。
【参考文献】
山本利達校注『新潮日本古典集成〈新装版〉 紫式部日記 紫式部集』(新潮社)
倉本一宏編『現代語訳 小右記』(吉川弘文館)
今井源衛『紫式部』(吉川弘文館)
倉本一宏『紫式部と藤原道長』(講談社現代新書)
真山知幸『偉人名言迷言事典』(笠間書院)
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら