NY生まれ「DASSAI BLUE」は米国で成功できるか 85億円の投資。「現地の評価や専門家の声」は?
獺祭がアメリカで浸透するようになった経緯をさかのぼると、その始まりは2003年の頃にある。
現在の4代目社長・桜井一宏氏がニューヨークに飛び、彼が中心となって現地営業マンとともに、一軒一軒、酒屋やレストランを回って営業を続けたのだ。
このタイミングが良かった。
2004年になると、「MEGU」や「EN Japanese Brasserie」「MATSURI」など大型の高級日本料理店が次々と登場し、空前の和食ブームが到来する。そこにプレミアム日本酒である「獺祭」はピタリとハマった。
地道な営業活動から時代の風を読み、「獺祭」にふさわしい場所を選び、届けたい人に届ける。そうした活動を繰り返し、ラグジュアリーなシーンで飲む日本酒として獺祭のイメージがアメリカで醸成され、一躍人気になったのだ。
また、販売先を増やすだけでなく、その品質担保にも神経を使った。
プレミアム日本酒のクオリティを維持するために、流通段階の冷蔵保存を徹底。試飲会やレストランサービスの方へのスタッフトレーニングなどにも注力する。
そこから20年、十分にブランドとしての認知度も高まったタイミングでのニューヨークでの醸造所開業は、まさに第2フェーズに入るのに機が熟したと言えるだろう。
醸造所を作り、地域に根ざす意味
実際、「DASSAI BLUE SAKE BREWERY」は開業前から話題となった。
2021年には開業を聞いたニューヨーク・ヤンキースから旭酒造に公式スポンサーにならないかと話があった。
スポンサー金額は2年間で35万ドル。桜井会長は、これを「DASSAI BLUE SAKE BREWERY」を知ってもらう良い機会だと考え快諾した。
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