インドネシアに登場「豪華個室夜行列車」の集客力 フルフラット座席の「寝台車」、乗車率は9割超

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インドネシア、とくにジャワ島では、昼夜を通して主要都市間を日本の在来線特急のごとく頻発する長距離列車が結んでいるが、意外なことに寝台車が運行されていた期間はそう長くない。東西の主要都市であるジャカルタ―スラバヤ間は、北本線経由なら720kmほどで、線路の高規格化で最高速度が時速120kmに引き上げられた今では最速の特急「アルゴブロモアングレック」は8時間5分で結んでしまう。寝台で横になるには、少々物足りない所要時間である。

実は、現在の下りビマ60列車も、スラバヤ到着時刻は午前3時30分とあまりにも早すぎる。2015年のダイヤだとジャカルタ発は今の17時とほぼ変わらないが、スラバヤ到着は5時48分とほどよい時間だった。この変化は、それまで細切れだった南本線の複線化が2019年~2020年にかけて一気に進み、さらに2021年9月に最高速度が時速120kmに引き上げられたことが理由だ。夜行列車の朝到着時刻が早すぎるという問題はほかにも多くの夜行特急列車で発生しており、速達化の思わぬ落とし穴になっている。

かつては売春の温床に

寝台車が定着しなかった理由は、所要時間の問題以外にももう1つ理由がある。

今回復活した寝台車、コンパートメントスイートを連結するビマは、1967年にインドネシア初の冷房寝台特急「ビルマランエクスプレス」として、東ドイツ(当時)のゲルリッツ製車両を導入して運転開始したのが始まりだ。英訳すればブルーナイトエクスプレス、まさに寝台列車にぴったりの愛称であり、実際に車両も真っ青な車体で、ほかの列車とは一線を画す存在だった。当時唯一運行されていた寝台列車かつ最高級列車という位置づけで、ホテルのような設備とサービスだったと紹介されている。

旧「ビマ」専用車両
初代のビマ専用車両である1967年東ドイツ製の客車の一部は、政府高官も乗車する特別車両に改造され現在も活躍中(筆者撮影)

車両は、寝台を線路の方向と並行に配置した2人用(2段式)個室の1等寝台と、寝台を線路と直角の方向に配置した3人用(3段式)個室の2等寝台が、間に食堂車をはさむ形で連結されていた。しかし、1984年には早くも1等寝台の連結がなくなり、1990年代初めまでにオール座席化が図られ、車両もほかの特急列車と共通となってしまった。その後は愛称のみがその出自を物語る存在となっていた。

インドネシアでは、この寝台車廃止の理由を社会的問題として一言で片づけているが、実態は車内での売春行為の横行である。始発駅の線路内には娼婦が立ち、寝台特急に乗る上客を相手に営業していたという。

駅構内で無許可で営業を行う露天商や、車内の売り子たちは「ごろつき」とのつながりも指摘されており、一朝一夕に追放することができない。よって、寝台車を廃止することで、物理的に娼婦を追放したのだ。ちなみに、その後も長らく残った露天商や売り子も、一連の鉄道改革の中で国軍の力を借りて2013年までに強制追放された。今では利用者が昼夜問わず、安心して駅を利用できる環境が整っている。

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