郵便番号はあるのに実体がない「幻の地名」の正体 廃れて消えた町もかつて誰かの故郷だった

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無人になった後で実際に現地を訪れた。建物はすべて撤去されていたが土台や一部の電柱、橋の残骸などは残っており、かつての町の様子をかすかに想像することはできる。

故郷を失う寂しさ

石炭を運び出すために敷設された三菱大夕張鉄道大夕張駅の裏手にはこの地域の子供が通った鹿島小学校があり、最盛期には2000人もの児童が通っていたという。1学年あたり7~8クラスのマンモス校(今ではこれも懐かしい響きだ)である。

無人の学校跡には記念碑が建てられ、「太古の森をきりひらきうもるる宝かえさんと力よほまれよ血のひびき」という、炭鉱町の学校らしい校歌の一節が刻まれていた。

碑の傍らにはノートが置かれ、ここを久しぶりに訪れた住民が記した「古郷はどんな状況でも心の中に生きています。夕張、大夕張、ありがとう。私の原点です」という言葉は忘れられない。故郷を失う寂しさは体験した人でないと本当には理解できないのだろう。

その後で図書館へ行って往時の住宅地図を閲覧した。その時のコピーが手元にある。昭和59年(1984)の図で閉山後ながら建物は多く、町の体裁は保たれていた。

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