「学力差の要因は遺伝が50%」教育格差の解決策 無料塾は教育格差にどう立ち向かうべきか?<前編>
おおた:学業的な成果の約半分が遺伝で予測可能と聞くと、夢も希望もないディストピア(ユートピアの反義語)に暮らしているような気がしてくるひともいるかもしれません。そこで、遺伝に関する前提をちょっとだけ整理しておきましょう。遺伝率というのは、親に似る確率という意味ではなくて、もって生まれた遺伝的特性がどれくらい影響するかということですよね。
安藤:そうです。
おおた:両親からどういう遺伝子を受け継ぐかはまさしく「ガチャ」ではあるけれど、「カエルの子はカエル」という話ではなくて、むしろ受け継いだ遺伝子の組み合わせによっては「トンビがタカを生む」ことが十分あり得る。
安藤:ただし、いちど受け継いだ遺伝子の組み合わせを変えることはできなくて、その遺伝的特性の影響を受けながら生きるしかありません。身長や体重については遺伝の影響が90%以上あります。知能や学力に関しても、遺伝の影響が50%くらいはあると考えられているということです。
評価されるべき能力は多種多様なはずなのに…
おおた:でもそれを夢も希望もない残酷な話だととらえてしまうのは、そもそも教育に対する考え方が偏っているからだと思うんです。
安藤:教育格差と経済格差が世代間連鎖する構造を変えていく糸口はそこです。一般的にこういうところで「学力」といった場合、入学試験で測られるような能力になりますよね。いわばジェネラル(一般的)な教科学習能力です。
学校で教わる教科内容は、人類が長い苦悩と歓喜の歴史のすえに生み出し発見した文化的知識の集大成で、その知識によってわれわれの社会は動いているわけですから、これは試験で測られる点数の高低いかんにかかわらず、やはりひととして誰でも知る機会を与えられるべきジェネラルな知識だと確信しています。
おおた:もちろんです。
安藤:でもジェネラルとは反対のスペシフィック(限定的)な能力もある。つまり、ひとによって、関心が向きやすい分野とか得意不得意というものが生来的にある。たとえば料理にすごく関心があったり、料理人になる素質が遺伝的に高いひとというのがいます。
ですが、それは学力としては評価されません。社会に出て発揮され、評価されるべき能力は多種多様なのに、なぜか学力だけに集約して教育を語ろうとしてしまう。そもそもそこに無理があるわけです。
おおた:学力も遺伝的特性の発現である部分が半分くらいはあるのですから、勉強が苦手な子にむりやりひとの何倍もやらせたりしない限り、不利は埋められない。
遺伝までを含んだ広い意味での<生まれ>によって学力や最終学歴に差がつく傾向を本気でなくそうと思ったら、そこまでしなければならない。だったらそこまでしてあげればいいじゃないかって考え方もあるとは思いますが、そこで私は「えっ、ほんと?」となるんです。