外国人が日本酒の「獺祭」こぞって買い求める背景 ニューヨーク・ヤンキースのスポンサーにも
旭酒造の代表取締役社長であり、4代目蔵元である桜井一宏氏は「私が旭酒造に入社した2006年頃、獺祭が地元で売れないので試行錯誤していました。会社を引き継いだ父は、山口が売れないならとほかの地域にアプローチしていましたが、大阪、広島、福岡もうまくいきません。そんな中で、東京の市場である程度の足掛かりができ、そこで生き残ることに必死でした」と当時を振り返る。
なかなか売れずに苦戦していた中で、重視したのが高付加価値だ。
「それまでは品質よりも営業力が大切で、獺祭は普通酒として地元で販売することがメインでしたが、高品質、高付加価値を重要視するようになりました。結果的に山田錦の大吟醸に特化するスタイルに徐々に変わっていき、これがお酒にこだわりのある方を中心に受け入れていただきました。東京での成功体験をもとにして、次は海外の大都市部に目を向け、ニューヨーク、パリ、香港へと進出していきました」(桜井氏)
3代目の桜井博志氏(現会長)が社長だった頃から、旭酒造はチャレンジ精神が旺盛で、手を替え品を替え、いろいろなことを試してきた。うまくいかなかったこともたくさんあるが、ダメならすぐに決断して引き下がり、また別のことにトライする。お金も人もないので、早く見切る必要があった。
そうしていくうちに、やってきたことが奏功し、結果に結びついたという。そのことが下地となり、つねに新しいことを考え、「さまざまなことをやっていかなければいけない」という意識になったそうだ。
人との縁でコラボも次々と実現
ただ、新しいことに挑戦するといっても、企画案ができなければ何もできない。アイデアの源はどこにあるのだろうか。
「さまざまな人たちとの交流からアイデアが生まれることが多いです。社員はもちろん、日本酒の会に参加した方などから話を聞いて新しい取り組みを始めることもあります」(桜井氏)
獺祭はさまざまな企業とも、コラボレーションをしている。冒頭で述べたジョエル・ロブションとのコラボもその一例だ。
コラボレーションは、人の縁からつながったものが多いという。「獺祭 ジョエル・ロブション」のオープンでは、人を介してロブション氏から打診を受けた。実際に会ってみたところ、モノづくりに対する姿勢で互いに共感できるものがあったという。
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