高羽:はい。どちらもこの日本社会の現実の一面を描いていますが、いずれにせよ社会で孤立することは、自分の存在が誰の目にも入らず、また自分の目に支援団体などの有益な存在が入らないことを意味します。人はこうして社会から孤立し、隔絶され、適切な情報や公的・民間機関にもアクセスできずに、たったひとりで苦境を耐え忍ぶ状況へと追い込まれるんだと、執筆の際に参照したさまざまな資料や当事者への取材を通じて痛感しました。
青木:本当にそのとおりです。ドラマの制作を通じて「繋がり」って何なんだろうと考えさせられました。取材を受けている女性たちは、さまざまな事情で社会の周縁に追いやられている「弱い」存在です。だけど、弱いながらも、とにかく必死に日々を生きようとしている。ただ必死に生きようとしているだけなのに、「ほんの少しのお金」に途方もなく困っているんですよね。そこが痛々しいんだけど、同時に、とても人間らしくて放っておけない。
階層社会で見えなくなっている貧困
高羽:書籍でも触れられていますが、今の日本社会は、単に貧富の差がある「格差社会」ではなく、豊かな人から貧しい人までがいくつかの階層に分断されている「階層社会」になってしまっているんですよね。
そうなると、自分が属している階層とは違う階層の人たちのことは見えない。私を含めてメディアにかかわっている人たちも、よほど意識をもって取材に行ったりしない限り、困窮している人と触れ合うことがありません。それと同じことが、きっと社会全体で起こっていて、本当に困窮して苦しんでいる人が現実に存在するのに、それを知らないままでいる人がすごく多いんじゃないかと思います。それが、いわゆる最下層にいる人たちの孤立を加速させる一因になっているのではないでしょうか。
青木:東京の貧困問題は、僕にとってもあまり触れる機会を得てこなかった現実だったんですけど、作品を通じて届けるべきことは、いまも高羽さんがおっしゃったように明確でシンプルですよね。
メディアはいろんな人に向けて発信します。おそらくドラマ「東京貧困女子。」は、いろんな人に向けて発信しても届く人と届かない人がいて、届く人にはちゃんと届く気がしているんです。とはいえ、たぶん「受け取る準備」まで整っている人はほとんどいない。まずは、こういう現実が実際にあるということを知ってもらうこと、これが最初のゴールでしょう。そこは十分達成できる作品になっていると思います。