最愛の孫・千姫を豊臣秀頼に嫁がせた家康の苦悩 織田の血筋を引く女性に次々と訪れる数奇な運命
この戦いは予想を裏切り、豊臣家が善戦します。そのことが家康に豊臣家の殲滅を決意させました。そして大坂夏の陣で豊臣家は滅びることになるのですが、千姫は大坂城に残ったままでした。
家康は、千姫の救出を命じます。千姫は坂崎直盛によって救い出されます。このとき千姫は、秀頼と淀の方の助命を家康に直訴しましたが、これは受け入れられませんでした。さらに秀頼と側室の間に生まれた男子と女子についても助命嘆願を行います。
男子は処刑されましたが、女子については、千姫は一歩も引かず、家康も根負けして助命することに。この女子は千姫の養女となって東慶寺に預けられ、天秀尼と名乗り37歳で死去しました。千姫は天秀尼の菩提を弔い続けたと言われています。
秀頼が処刑された翌年に再婚した千姫
大坂冬の陣の翌年、千姫は本多忠勝の孫にあたる本多忠刻と再婚しました。忠刻は、母が織田信長の孫である熊姫であり、祖父・忠勝の勇猛さと織田家の血筋が持つ美しさを兼ね備えた若者でした。
祖父である家康だけでなく父・秀忠もこよなく千姫を愛しており、忠刻は家臣ではありますが、傷ついた千姫を癒やしてくれると見込んだのでしょう。
また、これ以上、千姫を政争に巻き込みたくないという親心も見え隠れします。ともに織田家の血を継ぐふたりは、まわりがため息をつくほどの美男美女の夫婦だったようです。
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