まるで米国のパシリ、「日本の外交」劣化の行く末 G20中の林外相がウクライナ訪問の隠れた意味
口でどれだけきれいごとを主張しても、結局のところ国連常任理事国ですらなく、むしろ「旧敵国」にすぎないというのが、国際政治における我が国の立場なのだ。
日本は第2次大戦で無条件降伏して以来、韓国、台湾、フィリピンと並んで、アメリカの極東政策の前線基地となってきた。つまり、中露を大陸に閉じ込めておくための防波堤である。
ヨーロッパ方面の矢面にも立たされている?
それが今やヨーロッパ方面でも矢面に立たされようとしているのだろうか。まさかとは思うが、アメリカの対露、対中包囲網の前線に立たされようとしている、などということがあるとすれば、空恐ろしい話ではないだろうか。
このシナリオはただのうがちすぎの妄想とは言い切れない。なにしろ、常識的に考えれば、ブリンケン長官に続いてウクライナを訪問すべきだったのは、むしろNATOのヨーロッパ諸国の外務相だったはずであるところ、意表をついて世界の東端から日本の外務相がはるばるやってきているのだ。
それにつけても心配なのは日本である。ただただ、対米追従の戦略なき外交を続けていれば、自らの生き残りをかけた選択肢をますます少なくしてしまうだろう。G7はGDPでもG20の約半分、国の数では半分以下だ。EUどころかNATOの中でも対露姿勢に温度差がある。いわんや、BRICSやグローバルサウスの国々をや、だ。
日本政府には、G7以外にも数多くの国々があり、それぞれの立場があるという当たり前のことに目を向け、多様な意見に耳を傾けて、射程の長い外交を進めてもらいたい。
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