「4度目のうつ病だった」水道橋博士が明かした苦悩 国会議員を辞職した彼が今後に考えていること
「すべてにおいて自分は素人すぎた。法律的な知識はなく、議員活動の下準備も不十分で、各種委員会へ向けて何をすべきかうろたえた。松井前大阪市長との名誉毀損の裁判も抱えていて……。もともと徹夜で勉強してでも追いつこうとするタイプの人間だったけど、60歳にもなると知力を体力でカバーすることができなくなってきた。
もう昔のようにはできないんだ、という老いの不安が広がっていった。議員の資格が自分にあるのだろうかと、自分で自分を追い詰めていく状態で、今回はこれまでになく深刻でした」
死んで詫びたいという気持ちに

実は「うつ病を患うのはこれで4度目」という水道橋博士。1度目は2011年の震災の年で、2度目は2014年に発症。3度目は2018年秋で、「格闘技のイベントに出て前歯を3本折られて。そのとき作った入れ歯が調子が悪くて、しゃべりにくくなっちゃって。しゃべる職業なのでそれはキツかった」。
このときは「体調不良」を理由に休業、入院治療をした。うつ病はたびたび経験してきたものの、今回は議員という公の立場での発症だ。うつ病を公表したのも初めてだった。
「もちろん公表するのは抵抗がありました。社会的にも話題になるだろうし、芸人の場合は復帰したとき笑いにくくなるので大抵“体調不良”を理由にすることも多い。
でも今回ギブアップしたのは、希死念慮(死にたいと願うこと)があったから。今まではなかったけれど、今回はそこまで考えた。病気を抱えつつごまかしながらできる場合もあるじゃないですか。だけどもう議員という要職になるとごまかしようもなくて、死んで詫びたいという気持ちになった」
過去の経験と照らし合わせ、客観的に「これは最悪の状態だ」と気づく。れいわ新選組の山本太郎代表と深夜、電話で相談し、すぐに休職を決めた。