防衛費増が招く「増税」「国債」「債務危機」3つの罠 「成長の世界システム」は終焉を迎えつつある
ここ20年間ほど、私の頭を悩ませ続けてきた問題があった。それは、近代経済は、18世紀後半のイギリスで誕生したのか、それとも17世紀のオランダで誕生したのか、どちらなのかということである。
イギリスからはじまった産業革命により近代経済が誕生し、それが世界中に広まったというのが一般的な見方であろう。それは、資本=賃労働関係にもとづく資本主義システムが、世界を覆い尽くしたということを意味する。イギリスから、持続的経済成長がはじまったとされてきた。
それに対し最近提示されているのは、持続的経済成長は17世紀のオランダではじまったというものである。それは、「近代世界システム」を提唱したアメリカの社会学者ウォーラーステインが主張したことで有名になった説である。
この2つのどちらが正しいかということは、経済史を研究し続けてきた私にとって非常に大きな問題であり、ウォーラーステインの説を基本的には支持していたものの、確実にそうだと言い切るには、なお、一抹の不安があった。
その不安を解決したのが、『戦争と財政の世界史』の執筆であったといってよい。
経済が成長し続けていたので借金の返済が容易になった
ヨーロッパの経済史研究によれば、近代的な財政システムは、火器の発明を中心とする「軍事革命」により戦費が増大したことから生まれた。戦費の調達のために国債(公債)を発行し、それを長期的に返済するというシステムこそ、近代的財政システムの元になったというのである。そして、それを開始したのがオランダだったというわけだ。だからこそ、オランダは、いわば近代的財政システムをもつ最初の国として誕生した。オランダ史の近年の研究をまとめるなら、このように主張することができよう。
当時のオランダは7つの州が公債を発行し(国債は発行されなかった)、戦費を調達した。オランダは、1人当たりの税負担がヨーロッパでもっとも多い国であった。それが返済できたのは、持続的経済成長を成し遂げたので、公債の返済が容易になったからである。
それに対し、18世紀のイギリスは、対仏戦争を遂行していく過程で、イングランド銀行が巨額の国債を発行し、その返済を議会が保証するというファンディング・システムを構築した。このような形態での債務返済こそ、現代にまで通じる近代的な財政システムなのである。
オランダであれ、イギリスであれ、長期的にはなんとか借金を返済することができた。それは、経済が成長し続けていたので、借金の返済が容易になったからだ。
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