防衛費増が招く「増税」「国債」「債務危機」3つの罠 「成長の世界システム」は終焉を迎えつつある
18世紀の対仏戦争は、イギリスに巨額の借金を負わせた。そのため19世紀初頭イギリスの公債発行額の対GDP比は200%近くに達したが、大きな戦争がなく、しかも経済成長をしたので、19世紀末には比率は30%程度にまで減少した。19世紀後半のイギリスは、綿織物の輸出もあったが、むしろ海運業や金融業の収入により、世界経済のヘゲモニーを握るようになった。しかもイギリスは、植民地、とくにインドを収奪することで国債(公債)依存度を減らしたのである。
しかし、第1次世界大戦のために公債発行額の対GDP比は大きく上昇し、両大戦間期は大不況の影響もありそれはあまり低下することはなく、さらに第2次世界大戦がはじまると、この比率は急速に上昇し、終戦時には、250%近くに達した。戦後になって、経済成長のために(たとえ先進国のなかでは、アメリカに次いで低かったとしても)、イギリス政府は借金を返すことができた。しかし、1990年代以降、公債発行額の対GDP比は上昇傾向にある。
日本の国債残高
日本の国債発行残高は、現在、1000兆円を超えている。これは、とてつもない額だといわざるをえない。それは、戦争とは関係がなく増えていった。
日本は諸外国と同じく、国債の発行により戦費を調達した。日露戦争のときに高橋是清が活躍し、欧米の外債市場で国債の調達に成功することで戦費を調達したからこそ、日本はこの戦争に勝利することができたのである。それは最終的には1986年になってようやく返済できたほどに、巨額の借金であった。
アジア・太平洋戦争期にも巨額の国債を発行し、その多くを日銀引き受けとすることによって、ようやく戦争を継続することができた。戦後、インフレーションによって日本国政府の実質的な借金返済の負担は減った。さらに高度経済成長により、日本の公債発行額の対GDP比は大幅に減少した。
しかし、1970年代半ばから、とめどもなくという修飾語句が適切なほどに、日本の公債発行残高は増えている。それは、社会保障費の増加がもっとも大きな要因である。
そもそも国家に、「社会保障」という考え方はなかった。国家がおこなう最大のことといえば、戦争であった。だが、戦争でたくさんの人が死ぬと、国家はその家族への補償を考えるようになった。それが、社会保障の1つの起源になったのではないだろうか。
社会保障に関して有名なものは、1880年代にドイツのビスマルクが導入した医療保険法、災害保険法、養老保険である。イギリスで同様の制度が導入されたのが1911年であったことを考えるなら、ビスマルクの先見の明は明らかである。
だが、欧米の先進諸国で社会保障費が誰の目にも明らかに上昇するようになったのは、1980年代のことであり、その勢いはなかなか止まらない。公的支出のGDP比を増やすことは簡単だが減らすことは難しい。日本ほどではないにせよ、多くの国々でこの比率は、どちらかといえば上昇傾向にある。
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