ラーメンよく食べる人が知らない「漢字の歴史」 柳麺?拉麺?昔はどの漢字が使われていたか

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幕末に横浜が開港すると、貿易業に従事するために、あるいは欧米系商人の生活や仕事をサポートするために、ひと足お先に開国していた中国から中国人たちが移住するようになります。

横浜に移住した中国人は、広東出身者が多数を占めていました(西川武臣 伊藤泉美『開国日本と横浜中華街』)。横浜中華街の老舗に広東料理店が多いのは、その関係です。

そして彼らが横浜に持ち込んだ広東料理が、叉焼麺(チャーシューメン)、云呑麺(ワンタンメン)、焼賣(シューマイ)、そして柳麺(ラーメン)だったのです。

ラーメンの表記は「柳麺」だった

エッセイストで画家の玉村豊男はラーメンの起源を探るべく、明治時代の横浜中華街で「中華そば」を食べていた中国人の古老にインタビューを行っています。

“Aさん(本人の希望で名を秘す)は、八十八歳。いまから八十二年前(明治三十三年)、六歳のとき横浜へやってきた”
“その頃、中華ソバも、たしかにあった。”
 
“それはラオミンと呼ばれていた。”
 
“字で書けば、柳麺である。麺の姿が柳の枝に似ているから、そう呼ばれた。”
“このラオミンは、広東のものである。中国麺食文化の中心である北京の麺が手で引っぱって延ばした“拉麺”であるのに対して、南方の“柳麺”は強い力で圧延してから包丁で細く切る”(玉村豊男『食の地平線』)

柳麺(ラウミーン)は、柳の枝のように細い麺を使った麺料理、という意味でした。日本における柳麺(ラウミーン)の発祥地である横浜では、今でもラーメンに「柳麺」という漢字表記をあてる老舗中華料理店があります。

戦前の資料においても、ラーメンの漢字表記はそのほとんどが「柳麺」です。戦前の資料における「柳麺」の表記事例については、拙著『お好み焼きの戦前史』を参照してください。

ところが戦後になると、柳麺にかわって、次第に「拉麺」「老麺」という表記が増えるようになります。

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