常見:あの・・・。カラムーチョはなぜ辛いのですか?
一同:(笑)
常見:今でこそ「辛口」や「激辛」を前面に押し出した食品はたくさんありますが、カラムーチョが発売した当時はかなり珍しかったのでは?いや、実際、小学生だった私にとってはインパクトありすぎだったわけですが。
「激辛」が新語・流行語大賞の銀賞に
五月女:私が生まれる前のことですが、他に辛さをアピールした商品は当時ほとんどなかったと聞いています。発売から2年後に「激辛」という言葉が、新語・流行語大賞の銀賞に選ばれたので、かなりセンセーショナルなスナック菓子だったと思います。
常見:日本で最初に「激辛」を仕掛けたのは、湖池屋だと思います。でもそれまでは、ポテトチップスのようなスナック菓子は、「しお」や「コンソメ」といったベーシックな味が定番だったわけじゃないですか。何をきっかけにカラムーチョのような辛い味のお菓子を開発されたのでしょう?
五月女:湖池屋では、昔から商品開発のために、スナック大国であるアメリカの現地視察や市場調査を定期的に行っています。当時は競争激化の中、次の主力商品を模索していまして、開発チームがアメリカでは辛いスナックが売れていることに加え、メキシコ料理が流行っていることに気づいたのです。
メキシコ料理といえば、トウガラシを使うことで有名です。「これがなぜアメリカで人気なのか?」と当時の研究チームは検討を重ねた結果、アメリカで人気があるものを日本流にアレンジして販売しようと、開発がスタートしました。当時の社員の危機感と、経営者の先見性がうまく合致したことから誕生した商品ですね。カラムーチョを他社に模倣されないように、様々な香辛料をブレンドし、独自の製法で開発しました。
常見:30年も残るブランドなんてそうそうありません。当時の社員の方にとっても思い入れが強かったでしょうね。
小幡和哉(以下、小幡):新入社員たちには今も必ずカラムーチョの開発話を聞かせていますね。
常見:そんな先人たちの努力でカラムーチョは誕生するわけですが、最初は社内での評判はどうでしたか?
五月女:それがひどかったそうです(苦笑)。まだ辛いものを楽しむ文化がなかったので、「何を考えているんだ」「こんなもの売れるはずがない」と反対意見が半数近くあったそうですね。工場からも「こんなもの作れるか」というクレームさえきたそうです。試食が大変ですし(苦笑)。
小幡:しかし、社内での審査は無事通過して、発売には漕ぎ着けました。これは「湖池屋らしさ」と言えるかもしれませんが、やはり開発者が熱をもってやりたいと思った商品は許してくれる土壌があります。
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