原発事故が突きつけたガバナンスの欠如--責任をなすり付け合う東電と政府・政治家たち

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原発に対してチェック=規制するシステムがなかったということは、日本の危機管理の致命的な欠陥である。政府、経済産業省、そして東京電力などお上は悪いことはしないのだから、お任せしておけばよいという「性善説」のシステムだ。これではデモクラシー以前、後進国のシステムでしかない。

政府が、東京電力の賠償責任を問うなら、自らもその責任を認めたうえで、それを行うべきだ。そうでなければ、責任のなすり合い、逃げ合いでしかない。醜い無責任ゲームになる。

大株主、メディアもチェックの役割を果たさず

東京電力に話を戻せば、そのコーポレートガバナンスの無さが大きな問題である。

東京電力の大株主は第一生命保険、日本生命、東京都、三井住友銀行、みずほコーポレート銀行などだが、「株主責任」を果たしてきたとはいえない。

これらの大株主が、所有株の暴落を防ぐために原発事故に対して事前に危機管理を施すように株主総会で発言したとする話は聞いたことがない。大株主が経営に対してチェック役を果たしてこなかった。いわば、日本的な「持ち合い株主」の類いの大株主であり、東京電力の経営者にとっては、“ものわかりのよい株主”だったわけである。

東京電力は、原発というナーバスな事業を抱えていただけにメディアには巨額の広告を出してきた。地域独占企業で、競争相手もろくにいないのに、広告の札束をバラまき、メディアからのチェックを事前に封じてきた面がある。原発に対する危機管理ではなく、メディアに対する小さな危機管理はしてきたわけである。

東京電力は、チェックする者が誰もいなかった。それが福島原発という致命的な事故を起こすに至った根本原因の構図ということができる。これは東京電力のみならず、大半の日本企業についていえる欠陥である。権力構造をチェックするシステムがない企業、そして国家は最終的には衰亡を免れない。原発事故という取り返しのつかない事故が突きつけた核心はそこではないだろうか。

(東洋経済HRオンライン編集部)

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