原発事故が突きつけたガバナンスの欠如--責任をなすり付け合う東電と政府・政治家たち
東京電力にも経営(本社)と現場があるわけだが、経営サイドの当事者感覚の希薄さはひどいものがある。
東京電力は、役員報酬の50%削減を発表した。海江田万里経済産業相からは、「世論、今の国民感情もお考えいただきたい」と突き放された。あるべき姿としては、無報酬も当然のことではないかということである。
東京電力の清水正孝社長は、「50%削減は、大変厳しい数字と考えている」と発言した。過去にさかのぼれとまでは言わないが、せめて報酬返上ならわからないではない。日本の東半分を汚しておいて、報酬削減という程度の発想しか出ないのだから噴飯ものである。
東京電力は、原発損害賠償の上限を設けることを政府に求めている。
その上、損害賠償の財源として、電力料金の値上げを行うというのだから、これは国民に東京電力の損害賠償を肩代わりさせる行為である。当事者感覚が希薄どころか、他人任せ、図々しい話である。
国の罪・原発に対するガバナンスがなかった
原発については、当事者の東京電力をはじめ、政府、経済産業省、原子力安全委員会、原子力安全・保安院とすべて推進役だった。チェック&バランスというもの、つまりガバナンスがなかった。それが日本の制度、システムの根本問題にほかならない。
東京電力が損害賠償の上限を設けるように政府に求めているのは、政府、経済産業省の意向に沿ってきたという思いがあるからに違いない。
政府や政治家も東京電力の経営者に「報酬返上」を求めるなら、確かに政府や政治家も、その地位や報酬を返上するなりのことは行う必要がある。
東京電力の周辺サイドからは、「せめて政党助成金をゼロにするぐらいはしろ」、という声が出ている。「東電を悪者にして、菅直人首相は逃げようとしているのはミエミエだ」。国、政府も同罪だという立場だ。国、政府もそこは突き詰めればそのとおりである。