安宅和人氏が語る「AI時代」こそ必要な"生体験" テクノロジーの賢人が語る「ChatGPT」と「教育」

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今も画像を入力すると、それに関連するコメントが可能になることが論文で発表されているが、近いうちに音声も対応できるだろう。逆向きも可能になり、入出力の仕方も、音声で指示を入力すると、映像が出力される、といったようなことが可能になっていく。

マルチモーダルな時代になることは、AIがいっそう人間の持つ能力に近づいているということだ。今はChatGPTが話題の中心だが、オートGPTなどGPTプラスアルファのような複合的なAIの時代が始まろうとしている。AIが非常に賢くなった結果、それを使いこなすためには我々人間にもいちだんと高度な知力が求められる時代が来ていると思う。

――人間側に求められる力は何でしょうか。

AIと共存する社会で求められるのは、意味のある問いを立てること。出力された答えを正しく評価して、さらに正しい指示につなげる、といった力だ。そうした能力を高める上では、情報を統合して理解・識別する「知覚」の深さと質が最も肝心だと思う。

「知覚」は経験から育まれる

例えば「知覚」の最初の段階である感覚はこの世にはない。色はこの世に存在しておらず、あるのは波長だけだ。様々な電磁波のうち、可視光とよばれる非常に狭い波長域だけが我々に知覚でき、波長の違いを色として区別できる。肌触りも我々の肌で触っていて初めて何かがわかるわけで、実は情報はそのようにして我々の心の中で形になっている。「知覚」は、そういう基本的な感覚にもとづき、対象の理解、美的価値の評価、状況把握のような高度な対象の識別まで連続的、複合的に行っている。

この「知覚」は経験から育まれる。新しいことを見聞きする経験や、人付き合いから得る経験、経験に基づく思索などを深めたりしない限り、「知覚」が広がることはない。

日本のカレーライスしか食べたことない人にはインドのカレーは想像しかできない。失恋したことがない人に失恋の意味がわかるわけがない。言葉とか数字になっていないことがたくさんあるということをまずは受け入れる。百聞は一見に如かず。頭でっかちではなく生の体験を重ね、「知覚」を磨くことが大事だ。

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