安宅和人氏が語る「AI時代」こそ必要な"生体験" テクノロジーの賢人が語る「ChatGPT」と「教育」

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――教育システムの課題をどう考えますか。

私が学習指導要領の前文を読む限り、あまり違和感はない。でも、教育現場がなぜかそうなっていないということに大きな問題があって、「こうした人を育てたい」という方針と現実とに激しいギャップがあるのだと思う。 

「安宅さん、軍隊チックな教育は認めないというけれど、教育者って何十万人いると思っているんですか、ガイドラインなしで回るわけないじゃないですか」みたいな事を教育関係者から言われたこともある。私は素朴にこう思う。「いや、基本的な倫理だけを大切にして、一人ひとりを解き放ってはダメなんでしょうか」。

学校は、家庭だけでは充たせない生の社会体験を積む貴重な場。そこで個人が山のように体験を積んで意味を考えるということに注力させるべきだ。自分の肌感覚で深く理解し、物事への「知覚」を育てる教育に力を入れるべきだ。

バラバラに交流する中でいろんな反応が起きるというのが本来の、人が集まる場の力だ。人と人との関わりから得られる、本当に重要な能力であるインターパーソナルな能力だったり思索を培ったりする時間は、ほぼすべて放課後と休み時間に集中している。一番大事なことは授業時間の外で学ばれている。

「人間のようなAI」は生まれない

――いずれ人間のようなAIが出てくるのでしょうか。

AIと人間は根本的に違う。人間というよりも、「生命」とは違うという方が正しい。生命には意思と知覚が存在しているというのが最大のポイント。大腸菌のような単細胞生物でも意思がある。植物だって光がある方向に伸びていくし水がある方向に根を伸ばす。これが生命の本質だ。

AIは、意思があるかのように振る舞わせることはできるが、それは埋め込んだものであって、あくまで機械。私たちとって、AIは根本的に自動化装置の枠から出ることはなく、しもべ以外の何者でもない。

AIがどれだけ進歩しても、生命のような意思を埋め込むべきでもない。そもそも、そんなものを埋め込んだらすごく使いにくくなるでしょう。AIが「私に対するあなたの指示が失礼だから動きません」「(自動運転中に)あの前方の車の走り方がムカつくから突きたいです」といったことを話してきたら、どうします(笑)。

私たちがイラつくような状況でも、AIは実に淡々と作業をする。これがAIの醍醐味だ。人間はこれまでずっと煩悩から解放される方法とか、心の平静を保つ方法を追い求めてきたが、AIはそれを実現している。その意味でAIは、悟りを開いた、ブッダ状態にあるといえる。AIが「解脱」をしたことで解脱の価値は下がり、対して、解脱をせずに、煩悩とやりたい気持ちを大事にするのが人間の良さということになる。

週刊東洋経済「ChatGPT 超・仕事術革命」
武山 隼大 東洋経済 記者

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たけやま はやた / Hayata Takeyama

岐阜県出身。東京外国語大学国際社会学部モンゴル語専攻卒。在学中に西モンゴル・ホブド大学に留学。2021年東洋経済新報社に入社し、現在ゲーム・玩具業界を担当。

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