「日銀は政治に支配され、動けなくなった」 ストラテジストの森田長太郎氏に聞く

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マネタリーベースとインフレは関係あるのか(写真:M・O/PIXTA)

国民にイリュージョンを売る

――なぜ、エコノミストの一部は金融緩和に過度な期待を寄せるのか。

もともと米国の経済学者は一種の既得権益グループをつくっている。フリードマンやケインズでもそう。自然科学であれば仮説がいずれは検証されるが、そもそも自然科学ではない経済学は、検証されない。言いっ放しになってしまうことが、経済学の最大の問題だ。そうした中で、経済学者という職業を守ろうとすれば、政策への反映を図っていこうということになる。政策の役に立ちますよ、といえば、錬金術的になる。商売としての経済学だ。

なぜ多くの経済学者が財政政策でなく、金融政策を主張するかといえば、財政政策は選挙で選ばれた政治家の仕事だからだ。だから、金融政策にがっちりしがみついて、中央銀行に乗り込もうと考える。そういうグループが米国の経済学者のコミュニティを形成している。まさに政策を売り歩くいかさま師達が流派を形成している。

――それに倣って日本でも日銀批判が始められたわけですね。

日本では長らく金融政策も含めたマクロ経済政策を官僚が統括していたので、まったく入り込む余地がなかった。最近になって、妙な野心を持った人たちが日銀への攻撃を始めた。リフレ派と呼ばれる人たちの「日銀官僚の手から金融政策を取り上げる」という主張は「自分たちの商売にする」ということだ。だが、乗っ取ったからには結果に責任を持つべきだ。

米国ではリーマンショックが起きたことで、経済学者の地位が大きく低下して死活問題になった。だから今、米国の経済学者らは何とか理論と現実を調整する努力を始めている。日本の一部のリフレ派のように古典的な貨幣数量説にしがみつく人はいなくなっている。

結局、「成長の限界」というものが見えてくると、1930年代と同じことで、国民にイリュージョンを売って歩く政治になる。それにリフレ派の主張が合致した。1930年代には、軍部や一部の政治家が、満州国は日本の政治的、経済的な拡大路線の「生命線」だと主張し、国民の熱狂を誘導していった。そして、その権益を維持するために日本は破滅的な方向に向かっていった。現在は軍事的な事態とは全く関係はないが、「成長の限界」に対してイリュージョンを拡散して国民の目をそらすような経済政策になっていやしないか。

大崎 明子 東洋経済 編集委員

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おおさき あきこ / Akiko Osaki

早稲田大学政治経済学部卒。1985年東洋経済新報社入社。機械、精密機器業界などを担当後、関西支社でバブルのピークと崩壊に遇い不動産市場を取材。その後、『週刊東洋経済』編集部、『オール投資』編集部、証券・保険・銀行業界の担当を経て『金融ビジネス』編集長。一橋大学大学院国際企業戦略研究科(経営法務)修士。現在は、金融市場全般と地方銀行をウォッチする一方、マクロ経済を担当。

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