アダルトビデオで儲かるのは「販売」ではない 異色経営者DMMグループ亀山敬司伝<2>
亀山敬司が今日に到る飛躍を成し遂げたきっかけは、人気映画「バック・トゥー・ザ・フューチャー」シリーズをふと観たことだった。
〈ビデオはなくなり将来は電波か何かでいつでも映画が観られるようになるんじゃないか〉
高校生がタイムマシンに乗って過去と未来を行き来するというハリウッド仕立ての斬新なSFストーリーを観て、亀山は直感したという。
〈それでも、メーカーなら生き残れるのでは〉――。
亀山はそう考え、部下をひとり、東京に行かせた。すると、映画はとても無理だが、アダルトビデオ(AV)なら1本100万円で制作できるという。1990年、29歳になったばかりの亀山は「北都」を設立し、AV事業に乗り出した。
倒産が頻発する問屋対策のための販売方法
当初狙ったのはレンタルだ。が、「アリスJAPAN」など強豪に棚を独占され、入り込む余地はない。そこでセルビデオに切り替えた。ところが、間に入る問屋がしょっちゅう倒産する。その度に売り上げの1~2割が飛ぶ。だったら自分たちで小売店に売ろうと意を決してはみたものの、それだけの営業マンや拠点網は持ち合わせていなかった。
そこで考えたのが「富山の薬売り方式」と呼ぶ委託販売制だった。毎月の新作を段ボール箱に入れて宅配便などで大量に送り込む一方、小売店側の返品は自由というやり方だ。返品率は決して低くなかったが、この方式にはミソがあった。当時はまだビデオテープの時代。返品テープは上書きが可能だった。シールを貼り替えれば新作に早変わりである。
その頃、地元・加賀市内は片山津温泉のど真ん中に放置されたままのスーパー跡があった。かつての名は「ハッピー片山津」。天井はボロボロで穴だらけだった。AV事業を本格化させるため、亀山はそこを格安家賃で借り、ダビングと物流の拠点にすることとした。
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