マツダが「ユーノス」「アンフィニ」で追った夢 バブルに乗った拡大策はその崩壊で頓挫した

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マツダが1992年に発売した「ユーノス500」。5ナンバーボディに160psのV6エンジンを搭載、曲線が美しいボディ、鏡面のような光沢を放つ塗装など「小さな高級車」を目指した(写真:マツダ)
20~30年以上経った今でも語り継がれるクルマが、続々と自動車メーカーから投入された1990年代。その頃の熱気をつくったクルマたちがそれぞれ生まれた歴史や今に何を残したかの意味を「東洋経済オンライン自動車最前線」の書き手たちが連ねていく。

これがもしトヨタ車だったなら――。

かつて周囲の〝クルマ好き〟の間でこの手の話題がよく持ち上がった。「これがもしトヨタ車だったら何倍も売れただろうに」といった風にだ。これには主に2つ意味が含まれていたように思う。まず、圧倒的な販売力を持つトヨタ自動車へのやっかみと称賛。そして、よいクルマは作るが、売る力に乏しい他メーカーへの叱咤と憐憫であろう。

筆者が初めて聞いたのは確か1990年代半ばだった。「『ユーノス500』がもしトヨタ車だったら、もっと売れただろう」、勤め先の先輩が喫煙室でこう言い放ったと記憶している。

「ユーノス500」は、マツダが1992年に発売したDセグメントの4ドアセダンである。5ナンバーボディに160psのV6エンジンを押し込み、「BMW3シリーズ」を凌駕する運動性能を目標としつつ、1960年代の「ジャガーSタイプ」の曲線と日本文化のニュアンスを融合させた高鮮映性鋼板のボディに、高機能ハイレフコートの塗装を施した。インテリアも本革張りがメインで、「小さな高級車」を本気で目指していた。

欧州車的な引き締まった乗り心地に、いま思い出しても傑出してスムーズなV6エンジンの組み合わせで、見ても走らせても心を打つ隠れた名車だった。

「マツダ版レクサス」で狙った高級路線

「ユーノス」というのは、ラテン語の「喜び」と、英語の「集まり」からこしらえた造語らしい。マツダの新しいブランドであり、販売チャネルだった。旧来のマツダの販売店の埃っぽいイメージから脱すべく、建物の外観も内装も受付係の制服も一新してハイソな感じにした。トヨタにおけるレクサスのように、プレミアム感を醸成しようとした。

1989年、新しい販売チャネル名を冠した「ユーノスロードスター」としてデビュー。今もなお世界的に人気は高い(写真:マツダ)

ちなみにユーノスのスタートは1989年。これはトヨタがアメリカでレクサスを立ち上げた年と同じである。レクサスの日本導入は2005年なので、マツダはその16年も前に日本でプレミアムな販売チャネルを立ち上げようとしたわけだ。

コンパクトなスポーツクーペ「プレッソ」、1991年にユーノスチャネルから発売された(写真:マツダ)

ほかにもユーノスでは、今やマツダのブランドアイコンとなった「ユーノスロードスター」、マツダ「ペルソナ」ベースの「ユーノス300」、「ファミリア」ベースの「ユーノス100」、ミニバンの「ボンゴ」をベースとした「ユーノスカーゴワゴン」、そして当連載3回目に取り上げた、ロータリー・エンジンを搭載したゴージャスな「ユーノス・コスモ」、さらにコンパクトクーペの「ユーノスプレッソ」、3リッタークラスの「ユーノス800」の8車種をラインナップした。

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