フランス人にとって「革命」「デモ」が持つ意味 「革命の5月」を乗り切ったマクロン政権

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学生たちの行動を見ても、戦後のベビーブーマーが大学の体制に対して、ベトナム戦争に対して抗議していたが、その目標はと聞かれて、すぐに答えられる者はどこにもいなかったはずだ。 

それは世界中の若者にも共通していた。目標なき戦い、計画なき戦いであったのかもしれない。ただ、現状を批判し、それを一時中断し、その後で何かを考えようとしていたことだけは、確かだ。

社会学者・哲学者で、5月革命の中心にいたパリ大学ナンテール校のアンリ・ルフェーブルは「日常性へのマニフェスト」という言い方をしていた。いったん何もかも中断し、そこから日常のありかたを再考するのだ。

地下鉄やバスを止めるのはなぜか

ルフェーヴルによると、この問題は都市の抑圧的姿と関係しているという。日常生活の中で都市が抑圧的などと感じる者はほとんどいない。豊かな生活にどっぷりつかっている者は、都市を満喫し、楽しむ。それが抑圧的などとは思わない。

しかし、地下鉄が止まったり、バスが止まったりしたらどうであろう。快適な空間が苦痛に変貌する。だからストライキや、デモなどはだれもが避けたいと思うのだ。

しかし、この都市の空間から排除されている者、たとえば移民労働者、貧しい者、ホームレスなどなどにとっては、都市はけっして快適な空間ではない。今ではこうした排除されている者は、格差拡大でどんどん増えている。

フランスでは毎年2回、自動車が燃やされる日がある。それは、大晦日の夜、そして7月14日の革命記念日(パリ祭)である。この日は郊外の若者たちが、自分のものではない都市の中心に出て、思う存分都市を破壊するのだ。もちろん秩序はある。壊されるものは決まっている。それは、これ見よがしの豊かさをもつ路上駐車場に止めてある自動車だ。

前出のルフェーヴルは1871年のパリ・コミューンを、こう分析した。「パリ・コミューンの意味の一つは、場末の周辺へと投げ返されていた労働者達が都市の中心へと大挙して帰来したことであり、彼らから奪い取られていた財貨のなかの財貨であり価値であり作品である『都市』をふたたび征服したことであった」(『都市への権利』森本和夫訳、ちくま学芸文庫、29~30ページ)。

パリ・コミューンは、都市から排除されたものによる都市の奪還運動だったのだというのだ。5月革命についても同じことがいえるかもしれない。

パリ郊外のナンテール(今はパリ第10大学)は、貧しい郊外の一角にあった。そこから、自分たちを縛ってきた都市の権力に立ち向かい、パリの中心(カルチェ・ラタン)にその運動は伸びていき、大統領の直下でのゼネストという手段に訴えたのだ。

そして鉄壁を誇った中央権力は、パリ・コミューンのときと同様に崩壊した。

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