「当初は家主の姉に家賃を全部払ってもらっていましたが、3年生になって姉が就職してからは、わたしも家賃6万円のアパートでひとり暮らしを始めました。最後まで親からの援助はありませんでしたが、祖母・叔父・叔母が裕福な人たちだったので、彼らからお小遣いやお年玉をもらいながら、それを生活の足しにしていました」
学費、生活費、家賃……。すべてを奨学金とアルバイトから捻出しなくてはならず、忙しく動き回る日々。それでも東京で初めて出会うような人たちと出会えたため、大学に進んだことに何も後悔はない。
そして、4年生になる頃には就職活動も始まる。
「根が体育会なので、高校のときから『この大学に通えばOB・OGもたくさんいるから、ツテもできる』と思っていました。実際、就活では少しでもうちの大学出身者が多そうで、OB訪問ができそうな企業に的を絞って面接を受けていました。バイトを辞めると生活ができなくなるので、その合間を縫っての就活となり、20社程度しかエントリーできませんでしたが、希望していた機械メーカーに営業職として入ることができました」
就活では「住宅手当・寮」に着目
今も新卒で入社した機械メーカーに勤めている小川さん。決め手はOB・OGの多さだけではなかった。
「家賃負担が少なければ、その分奨学金を返済する費用に充てられると思い、応募要項に『住宅手当・寮』という記載のある企業しか受けなかったんです。今の会社は、入社当初から、社宅や借り上げのマンションに住ませてもらえたので助かりました。どんな企業でも1年目は額面でも20万円程度なので……。家賃が発生していないような状態、奨学金の返済が毎月3万円あっても、無理なく返せるというか、むしろ貯金ができたぐらいです」
家賃で得した分、小川さんはこれまで話を聞いてきた多くの人たちと同じように、第二種の返済を早めに終わらせることにした。
「第二種の貸与時に保証人をつけなかったため、借りていたときから『機関保証』の代金が差し引かれていたんです。毎月6万円借りたとしても、実際に振り込まれるのは5万7000円というように、毎月数千円は保証分に消えていたんですね。つまり、6万円は丸々借りられていなかったということじゃないですか?
だから、相当コスパが悪いのですが、それに加えて返済時には利子がつくので、金銭的な余裕が生まれたら繰り越しで返済するようにしていました。とにかく、奨学金を早く返したかったんです。機関保証の仕組みは十分理解していましたが、どうしてこんなにも学生に優しくないんでしょうね(笑)」
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