地域の貨物輸送で活躍「今はなき」ミニ私鉄の軌跡 葉タバコを運んだ汽車や現在のJR線など3路線

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小
上武鉄道日丹線の列車
埼玉県にあった上武鉄道日丹線の旅客混合列車=1972年(写真:御供良一撮影)
この記事の画像を見る(24枚)

2022年は、日本の「鉄道開業150年」の記念すべき年だった。この「鉄道開業150年」というのは、新橋―横浜(現・桜木町)間で旅客列車の運行が開始されてから150年という意味である。

では貨物列車はというと、旅客列車よりも約1年遅れて、1873年9月15日に新橋―横浜間で運行が開始された。2023年は「貨物鉄道輸送150年」の節目なのである。

貨物鉄道と聞けば、どうしても国鉄およびそれを引き継いだJR貨物が思い浮かぶが、私鉄の貨物輸送も忘れてはならない。関東地方では今もセメント原料の石灰石を輸送する秩父鉄道や、過去には玉川電気鉄道(東急に合併後、1969年に廃止)等が川砂利を輸送したことなどが知られている。

今回は、貨物輸送で活躍したものの、歴史の波の彼方に消え去った、関東の小さな私鉄3路線を紹介する。

葉タバコを運んだ小さな汽車

湘南軌道(秦野―二宮間)

明治の終わりから昭和の初めにかけて、神奈川県西部の現在の二宮町と秦野市を結ぶ小さな鉄道が走っていた。すでに廃線から80年以上が経過し、鉄道の遺構はほとんど残っていないものの、地元では今なお「けいべん」と呼ばれ愛されている。

1887年、東海道線が国府津まで延伸され、1902年には二宮駅が開設された。当時、二宮の後背地である秦野は、県西北部の生産物の集積地として繁栄し、江戸時代以来の葉タバコの名産地として知られていた。葉タバコとは、キセルで吸う「刻みたばこ」の原料である。秦野の耕作地は江戸時代の宝永年間の富士山大噴火によって火山灰を被ったために、やせた土地になり、これに適した作物として葉タバコが盛んに栽培されるようになったのだ。

馬車や荷車では、こうした秦野の物産品を運搬する能力に限界があり、輸送路も、秦野から二宮(約8km)よりも距離の長い、秦野から東海道線平塚駅(約14km)への道が主に使われていた。そこで、地元の有志が中心となり、秦野から二宮駅までを結ぶ馬車鉄道が敷設された。

次ページ輸送量増加で馬車鉄道から蒸気機関車へ
関連記事
トピックボードAD
鉄道最前線の人気記事