「あなたが、お母さんの態度を責めたり、『自分がどんなに傷ついたか』といった話をするのをやめたりすれば、お母さんの機嫌は直るわよ」と、私は言った。
Cさんは、母親のことを考えることなく前進していく道を探さなければならなかった。精神的な親密さを求めるのではなく、少し距離を置いて付き合うようにするのが最良の方法だった。
Cさんはこの説明を受け入れはしたものの、依然とまどっていた。彼女は思い出したのだ、子どものころ、母はCさんの祖母、つまり母の実母を訪ねていくのをいやがっていたし、祖母のほうでも快く思っていなかったことを。訪ねるたびに、祖母に愛されていないと感じた母はすすり泣き、そんな母をなぐさめるのはCさんしかいなかった。
「なのに母は今、同じことを自分の娘にしているんですよ。自分があんなにつらい思いをしたんだから、自分の子どもには同じ思いをさせたくないって考えないんですか?」
そのとおりだ。母親は自分のトラウマをそっくりそのまま娘に押しつけることしかできない。これは、子どものころに受けた心の痛みをずっと我慢してきた人にありがちなことだ。
相手の行動を観察。「反応しない練習」をする
母親からのかたくなな黙殺に耐えて数カ月、Cさんは母親の様子を観察してみることにした。自分の息子のサッカーの試合観戦に両親を招いたのだ。試合が終わるまでなら、落ち着いていられるし、感情をコントロールできそうだと思ったからだ。彼女の望む結果は、ごくふつうに両親のもとを訪ね、以前のように付き合いたいということだけ。
Cさんは淡々とした観察モードに徹した。楽しそうにやりとりはしたが、母親から温かな言葉をかけてもらうことは期待しなかった。両親はいつもどおり遅れてきたが、Cさんはおだやかにあいさつをした。
「来てくれてありがとう」
母親を軽くハグし、持っていたお菓子をすすめた。母親はそっけなく不機嫌そうだったが、Cさんは気づかないふりをして、あえて反応しなかった。
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