職場で「気を使いすぎる人」を蝕む恐怖心の正体 人からの評価が気になったり、働きづらい理由

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CPUに負荷がかかるとパソコンが重くなるように、本来は能力がある人でも仕事や人間関係にうまく対応することができなくなり、結果として「なぜか仕事ができない」「気を使いすぎてへとへとになる」「気を回しているのに評価されない」といったような状態に陥ってしまうのです。

この背景には、しばしば「見捨てられ不安」もみられます。

たとえば子どものころに、親との関わりが希薄だったことなどが影響して、世界(≒対人関係)が安心安全であるという信頼感を持つことができなくなります。

他人が不意に怒り出すのではないか?悪く評価されるのではないか?見捨てられるのではないか? といった不安を抱えているために、過剰に他人の感情を忖度し、先回りしてしまうことで生じるのです。

“気を使う”とは本来、信頼とリスペクトからくるものですが、この場合は、不安から生じているために適度さがなく、よりよい関係をもたらすものにはなりません。

過剰に努力をし、身体を壊すほど働く場合も

健康な世界は有限の循環で成り立っています。やりすぎれば疲れる、飽きる。休息して回復するという自然な流れがあります。人間関係においても、役割の範囲、貸し借り(ギブ・アンド・テイク)があります。他人の役割と自分の責任との区別を認識し、過剰に他人に関わる必要はないと私は考えています。

一方、トラウマの世界はその反対です。自分の周囲に対して、“無限”に捉えることが特徴です。例えば、“無限”に義理堅く、“無限”に責任感や罪悪感を持ちます。他人の問題を自分の責任であるかのように感じます。見捨てられ不安も相まって、“無限”に関係を維持しようとします。

また、疲れを知らないかのように過剰に努力をしたり、身体を壊すほど一生懸命働いたりする人もいます。飽きずにやる気が続くことは良い部分もある反面、脳や身体が過覚醒、過活動を起こしているために休息と活動のリズムを自然に取ることができません。

ビジネスマン、経営者などでもバリバリと活躍しているように見えて、じつは発達性トラウマによって過剰な不安に陥っていたり、ワーカホリック(仕事中毒)に陥ってしまっている人も少なくないのです。

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