韓国で「ホカ弁」を広めた在日韓国人の食への信念 稲盛和夫氏の言葉に一念発起、飲食業の価値感を変えた
余談だが、韓国では1970年代までは弁当を、日本語そのままに「ベントウ」と言っていた。近代化の過程で日本からもたらされたものだからだが、その後、韓国にも昔、似たような携帯飯があったとして韓国語の「トシラク」に代わった。
しかし北朝鮮ではずっと「ベントウ」が残っていたが、つい最近、国営メディアに「ハムバップ」という言葉が登場した。直訳すると「函(箱)飯」だが、いずれにしろ「弁当文化」はもともと日本文化といっていい。李英徳氏の韓国での弁当ビジネスは、典型的な日韓の食文化交流の一環だった。
ちなみに屋号の「ハンソッ」は韓国語で「一つの釜」の意味だが、「同じ釜の飯」というように「親しい仲間」の意味にもなる。李英徳氏の経営哲学は「消費者を裏切らない」「加盟店との信頼・共生」「経営の透明性」など。会社の応接室の壁には「温かい弁当で地域社会に貢献するハンソッ精神」として、「良心・配慮・正直」という3つの言葉が掲げられている。
コンビニを蹴散らすメニュー開発力
おかげで開業初期に遭遇した1998年のアジア金融危機、韓国では「IMF危機」の際にも、物価高騰であらゆる外食チェーン店が値上げするなか、食材取り引き先や加盟店の協力で値段を上げずに持ちこたえた。韓国のフランチャイズ業界では本社と加盟店の間でのトラブルがしばしば発生しメディアをにぎわすが、「ハンソッ」にはそれがないことで知られる。
テイクアウトの弁当ビジネスにとってライバルはコンビニ弁当などだ。韓国でコンビニが本格展開したのは1990年代末からだが、日本をモデルにしてスタートしたものの、日本では定番商品の「おにぎり」は苦戦した。
それを韓国人になじみの「キムバップ(のり巻き)」をヒントに「三角キムバップ」と命名して成功させたのは、韓国セブンイレブンの日本人スタッフが生み出したグッド・アイデアだった。
その後、コンビニに弁当も登場したが、温かく食べるには電子レンジで温めることが必要だ。さらに、種類の多さや価格面でも「ハンソッ」のホカ弁にはかなわない。
新メニューの開発では、李英徳氏が陣頭指揮をふるう。今でもしばしば日本に出かけ、新メニューの開発に余念がない。これまでの最大ヒット商品は「チキンマヨ弁当」だが、「ハンソッ」のメニューの多さは業界で飛びぬけている。だから「コンビニ弁当は敵ではない」と自信を見せる。
70歳を超え、社長職を先ごろアメリカで外食ビジネスを勉強してきた長男の李夏林氏(31)に任せ会長となった。在日韓国人が本国でビジネスをやる際、人間関係や組織管理など日本との違いに苦労する。「ビジネスをやるうえで在日韓国人としてのマイナス、つまり“在日の壁”はなかったか」という問いには、「鈍感なせいかまったく感じなかった」という。その成功の秘訣を知りたいと講演要請も多く、ソフトで威張らない人柄が好感を持たれている。
韓国の企業はある分野で成功すると、すぐ異業種に手を出しがちだ。しかし、李英徳氏は慎重だ。一方で、食のビジネス拡大には意欲を持ち続ける。その一環として、アメリカ育ちの若い新社長の下、海外進出を構想している。とはいえ、「法秩序と道徳・倫理が守られている国以外には出ていってはだめだ」が持論である。
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