韓国で「ホカ弁」を広めた在日韓国人の食への信念 稲盛和夫氏の言葉に一念発起、飲食業の価値感を変えた

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ここでも「京都」がヒントになった。というのも在日1世の父は京都の中心街で旅館や時計・宝石店などを手広く経営し、結構、美食家だった。父に連れられ京都の食を楽しんだ息子の英徳氏も、子どものころから食には関心があった。

そこで「自分は他人よりは食に通じてる」と思ったことから、「韓国で食のビジネスをやればどうだろうか」と考えたのだ。

しかし、韓国では伝統的には食に関するビジネスへの社会的価値が低い。日本のように、食べ物屋で家業何代などという伝統はまずなかった。飲食店の親は「子どもにだけは家業を継がせたくない」と思うのが当たり前の社会なのだ。だから、世間的には「ソウル大を出て食べ物屋などとんでもないこと」だった。

食べ物商売なんて「あんなものは誰でもやれる商売」と思われてきたため、優秀な人材は入ってこない。実は、韓国で飲食店の社会的価値と評価が高まり、職業としての料理人が人気を得るようになったのはごく最近のことである。

「温かいままテイクアウト」が人気に

しかし今から30年前、英徳氏は“先見の明”としてそこを逆に考えた。「韓国では食のビジネスが本格化するのはこれからだ、その社会的価値を高めるチャンスでもある、それが自分の社会的貢献にもなる」というわけだ。

まず食ビジネスを行う一企業として、フランチャイズ・システムによるお持ち帰りのホカ弁チェーン店を構想した。韓国ではもっぱら出前(配達)ばかりで、テイクアウトという分野は未開拓だった。

日本では神戸を拠点に、同じく在日韓国人2世が経営するホカ弁チェーン店「本家かまどや」があった。紹介を受けノウハウを教えてもらった。

韓国最初のテイクアウト専門のホカホカ弁当屋「ハンソッ1号店」は1993年7月7日、ソウル中心街の鍾路(チョンノ)区役所前にオープンした。日本でいえば東京の千代田区役所という位置づけになる。わずか8坪(26.4平方メートル)の店だったが、初日のランチタイムには長い行列ができ、売り上げは1000個に上った。周りはビジネス街でサラリーマンが多い。事前にメニューのチラシをばらまいてはいたが、予想外の好反応だった。

もともと韓国人は冷や飯、冷めたご飯を嫌う。したがって韓国の航空会社でも、短距離路線でも機内食のご飯はきまって温かい。温かいご飯付きの弁当をテイクアウトできるというのは、韓国人にとってはこのうえなくありがたい。

それに「ハンソッ」のお店は、こぢんまりしているが明るくて清潔で、何よりも弁当の値段が安かった。開店当時で1個平均1500ウォン、日本円で100円程度だったのだ。それゆえに、若い勤め人たちに大受けした。現在でも、韓国食の焼き肉・ビビンバシリーズなどのほか、どんぶり物シリーズやカレーシリーズ、パスタシリーズなど多様なメニューをそろえ、おおよそ500~1000円の価格帯で提供している。

オープン当初から「自分もやりたい」「やらせてほしい」と、見学や加盟申請が殺到した。各店舗に食材を配送するフランチャイズ・システム、かつ客席・テーブルが不要だから店舗も小さいためそれほど経費はかからず、開店が容易だったからだ。ただ、弁当を盛る発泡スチロールの容器が韓国にはなく、オープンしてしばらくの間は、日本からハンドキャリーで大量に持ち込んだという話がある。

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