ナポリタン「一品料理じゃなかった」昔の驚きの姿 元々は高級料理、なぜ家庭向けで広まったのか

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帝国ホテルでNapolitaineを習得したスコットのシェフは、付け合せだったNapolitaineを、一品料理スパゲッティ・ナポリタンとして提供したのです。

拙著『なぜアジはフライでとんかつはカツか?』で明らかにしたように、明治時代にはもっぱらイギリス料理の影響を受けていた家庭向けの料理書も、大正時代になるとフランス料理の影響を受けるようになります。

家庭向けの料理専門雑誌『料理の友』の大正時代の洋食レシピには、うどんやマカロニをトマトソースで和えて、洋食の付け合せに使う事例が現れます。これはフランス料理のNapolitaineを家庭向けにアレンジしたものでしょう。

ラジオ放送で全国に紹介

1925(大正14)年から始まった日本放送協会(NHK)のラジオ放送において、料理レシピが全国に紹介されるようになります。

そして1929(昭和4)年から1934年までに放送したレシピをまとめた日本放送協会編『放送料理一千集 野菜篇』に、「ナポリ風のスパゲテイ」が登場します。

そのレシピは、エスコフィエのNapolitaineにおけるスパゲッティをうどんに、トマトピューレをトマトクリーム缶(おそらくトマトをクリーム状に粉砕した缶詰)に代替したレシピ。つまり、一品料理スパゲッティ・ナポリタンのアレンジレシピが、ラジオを通じて全国に紹介されたのです。

築地精養軒などの料理長を歴任した北川敬三も、家庭向けの雑誌『栄養と料理 昭和13年2月号』 の「西洋料理|粉物の扱ひ方」において、トマトピューレとチーズ、バターでスパゲッティを和えた一品料理「スパゲツト・アラ・ナポリタン」を紹介しています。

ところがその北川敬三が戦後に書いたスパゲッティ・ナポリタンのレシピは、エスコフィエのレシピとはかなり異なった、現在のナポリタンに近いものへと変化していました。

1953年の北川敬三『西洋料理』における「スパゲット・アラ・ナポリタン」は、トマトピューレだけでなく、かわりにトマトケチャップを使用することも提案しています。これは、トマトピューレよりもトマトケチャップのほうが入手しやすかったという、当時の家庭環境に対応したものでしょう。

そして茹でたスパゲッティを調味料で和えていた戦前のレシピは、茹でた後にタマネギやピーマンと炒める方式に変更されています。

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