大泉学園、「アニメの街」になった未完の学園都市 大学誘致できず、広大な土地に映画産業が着目

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だからこそ堤は強気だった。駅舎を寄付しただけではなく、東大泉駅から遠く離れていた大泉学園都市までを結ぶバスを運行。また、自然豊かで勉学に最適な環境であることをPRするために大学の近くに箱根土地乗馬倶楽部を設立してもいる。こうした需要をも生み出してくれる堤の学園都市への執念は、武蔵野鉄道にとってありがたいものだったに違いない。

ちなみに、東大泉駅は三角屋根が特徴的な駅舎だった。これは、後に堤が学園都市を成功させた中央線の国立駅と瓜二つのデザインでもある。また、国立駅南口から延びる道路の幅員は24間で、それと比較しても大泉学園都市の規模は壮大だった。それほど堤は学園都市の実現に執念を燃やし、精力を注いだ。

それにもかかわらず、大泉学園都市に東京商科大学が移転してくることはなかった。その理由は定かではないが、やはり交通アクセスの整備が不十分だったことは否めない。

大泉学園駅南口
現在の大泉学園駅南口。再開発によりペデストリアンデッキが整備され、商業施設とも直結している(筆者撮影)

見込みのないまま駅名を「学園」に

学園都市計画が未完に終わった東大泉は、その後に都市開発の荒波が押し寄せることはなかった。駅周辺も農村然とした雰囲気を保ちつづけたが、それを気に入って転居してきた人物もいる。それが牧野富太郎だ。

牧野は、2023年度前期のNHK連続テレビ小説『らんまん』主人公のモデルとなる植物学者で、生涯に25回以上も転居したといわれる。その大きな理由は経済的困窮だが、牧野は国内のみならず海外にも植物採集で足を運ぶほどだったから、転居を繰り返した理由の1つには各地で植物を採集・観察するという意味もあっただろう。

そんな牧野は1926年に東大泉に居を構え、1957年に没するまで同地で暮らした。東大泉は自然が豊かで、植物観察には絶好の土地でもあった。

牧野富太郎旧宅
牧野富太郎の旧宅は、練馬区立牧野記念庭園として一般公開されている(筆者撮影)

ただ、自然が豊かであることは、駅周辺が都市化していないことを意味する。都市化していなければ、鉄道の需要は当然ながら少ない。武蔵野鉄道は昭和初期に起こった恐慌の影響で経営危機に陥り、堤は救済の意味も含めて1932年に同社の株式を買い集めて筆頭株主となった。翌年、東大泉駅は大泉学園駅へと改称する。堤が進めていた大泉学園都市計画はすでに破綻していた。明らかに無理筋だが、それにもかかわらず駅名改称は断行された。

駅名改称後も、駅周辺に学園都市計画が再燃することはなかった。2023年は東大泉駅が開業してから90年という節目にあたるが、現在も駅周辺に大学は開学していない。大泉学園町という町名が残っているだけに過ぎない。

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