堀井美香氏、退職の相談には「いたほうがいいよ」 50歳と45歳で会社を辞めた2人が語る"独立後"

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──会社と完全に縁が切れるのでなく、ゆるくつながっているイメージですね。

羽生:私は「ショゾクからセツゾク」と呼んでいます。会社と自分との間にある橋をすべて焼き払ってしまう「バーンブリッジ」ではなく、接点を残しておく。「所属」から「接続」にシフトする、という感覚ですね。「火曜日のこの時間は日経グループに接続しよう」みたいな。

会社とのつながりを残したまま退社した羽生さん(撮影:梅谷 秀司)

堀井:「ショゾクからセツゾク」、すごくわかります。ただ、退社する人に対して寛容じゃない会社のほうが世の中多いですよね。辞めた人が会社の外で知恵や人脈を身につけて戻ってきたり、出入りできるようなカルチャーがもっと許容されるといいな、と。

羽生:一部の外資系企業では「Alumni(アルムナイ)」といって、卒業した社員が知恵と人脈を蓄えて戻ってくるのを受け入れる制度があります。ちょうど「メンバーシップ型雇用からジョブ型雇用へ」と国も旗を振っているのだから、美香さんが言うように退社後も元の会社と「セツゾク」できる制度やカルチャーがもっと広がってもいいですよね。

「退社する怖さ」との葛藤

──長く勤めた会社を出よう、と決断するときの「怖さ」はありましたか?

羽生:私はすごく怖かったです。「アハハって笑いながら『じゃあね!』って辞めたんでしょ?」なんてよく言われるんだけど(笑)、実は悩んで悩んで、足かけ3年かけて七転八倒しながら決めたって感じで。

今でも覚えているんだけど、退社を考え始めてから、悪夢を見るようになったんです。私がなぜか八百屋をやっていて。

堀井:八百屋(笑)?

羽生:ドリアンって果物、ありますよね。独特の臭いがする。あれをいっぱい入荷しちゃって、道行く人に「おいしいよ!」と必死で売っているんです。でも、誰も足を止めてくれない。これじゃダメだとPOPを作ったり、値引きしたり、試食サービスをしたり。それなのに1個もドリアンが売れない……で、「うわぁっ!」と脂汗かいて目が覚める(笑)。その悪夢を3、4回は見ましたね。

堀井:実は、私も怖かったんです。

羽生:美香さんも怖かったんだ、すぱっと退社を決めたのに?

堀井:退社を決めてから、いろいろ怖くなってきたんです(笑)。思い入れのある番組を後輩アナウンサーに引き継がなければならず、一緒に仕事してきたスタッフや演者さんともつながりが切れてしまう。それで「あ、やっぱり1人になっちゃうんだ……」って。

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