カネボウとJAL、今だから知りたい明暗の裏側 ともに大型倒産、その後は何が違ったのか
そんなJALの再生を託されたのは、京セラ名誉会長だった稲盛和夫だった。
バブルに踊らなかった経営者・稲盛和夫
筆者の知る稲盛は、バブル時代、頑として財テク(本業以外の金融や証券市場で財産を増やすこと)に走らなかった数少ない経営者だ。銀行から不動産投資を勧められても、「一生懸命働いて、額に汗して稼がず、不動産投資などで儲けるのは邪道だ」と言って一切誘いにのらなかった。
筆者が稲盛に最初に会ったのは、稲盛もまだ40歳台の若手経営者だった頃だ。当時はいつも作業服を着ていて、会ったときの第一印象は「気さくで、茶目っ気があり、温かみのある経営者」である。
1975(昭和50)年のある日、稲盛が出張に出るというので、羽田空港に見送りに行った。自社で開発した人工エメラルド(クレサンベール)を海外に紹介しようというのだ。
稲盛は、1960年代にアメリカに出張した際、ニューヨーク五番街のティファニー宝石店で、緑色に輝くエメラルドに魅せられた。同時に、疑問も抱いたという。
「天然だというだけで高価なのはおかしい。質が悪い宝石もある。もっと人の心を豊かにする美しいジュエリーをつくれないものか」
そして開発したのが、人工エメラルドだ。羽田空港のVIPルームで、稲盛はアタッシェケースを開いて、その人工エメラルドを見せてくれた。そしてこんなことを話しはじめた。
「恩田さん、じつは先日、これを専門家に鑑定してもらいました。本物のエメラルドの場合、専門の鑑定士であれば、含有物や気泡の状態などからその産地までわかるのが通常です。しかし、当社のエメラルドは人工なので、鑑定が難しい。結果は『ソ連の山奥で採れたエメラルドでしょう』というものでした」
その次に若い稲盛の口から出た言葉が、今でも私の心に鮮明に残っている。
「この石は、裸石のままでは売らないことにしました」
裸石のまま売ると、買った仲買人などが、本物のエメラルドと偽って売ることもあるかもしれない。そうすれば購入したお客様に迷惑をかけることになる。だから、指輪やネックレスに加工してからでないと売らないというのだ。
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