イトーヨーカ堂創業者が愛誦した「商人」の極意 「安いニッポン」の到来を30年近く前に語っていた

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「あと5年もして、経済のグローバル化が一層進むと、先進国のマーケットには、あらゆる国からの商品が流れ込んでくる。一方で、強い産業がどんどん海外に出てしまえば、賃金が上がるはずがない」「これを小売業界から見れば、モノの値段はドンドン下がるということ」ーー。

21世紀に到来する「安いニッポン」の風景を視野にとらえた、卓越した商人ならではの先見性といえるだろう。

名誉会長に復帰してからもグループの指揮はあくまで鈴木氏に任せ、伊藤氏は抑制的に振る舞った。2005年にイトーヨーカ堂グループは、セブン&アイHDを持ち株会社とする体制へ移行した。同社のロゴでは「7」の字が強調され、ヨーカ堂を感じさせる要素はあまりない。もはやグループの主役は圧倒的な収益性を誇るコンビニ事業だった。

かつてヨーカ堂の株式の2割前後を所有していた伊藤家だが、現在のセブン&アイへの出資比率は1割ほどだ。伊藤氏の長男である裕久氏はヨーカ堂で専務取締役を務めていたが、2002年に自ら会社を去った。オーナーとしての存在感は徐々に薄れていった。

表舞台に出なくなった伊藤氏は、「資本家として一歩引いたところからグループを見守る、ガバナンスの要」を自称した。

「変化」を続ける商人としての覚悟

言葉を交わす伊藤雅俊氏(右)と鈴木敏文氏(左)
2016年3月、セブン&アイ・ホールディングスの入社式で言葉を交わす伊藤雅俊氏(右)と鈴木敏文氏(左)(編集部撮影)

そんな「漬け物石」として晩年を迎えた伊藤氏に、最後の大仕事が待っていた。

2016年にセブン&アイの会長だった鈴木氏がセブン・イレブンの社長を務めていた井阪隆一氏のクビをすげ替えようとしたとき、待ったをかけたのだ。強引なトップ人事に反対された鈴木氏はあっさりと辞任を決めた。オーナーが抜いた「伝家の宝刀」の効果は絶大だった。

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