川崎・横浜の港を走る、知られざる「貨物線」の実力 石油から廃棄物まで運ぶ「神奈川臨海鉄道」

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その後、戦前期から戦後の復興期、高度経済成長期にかけて、川崎・横浜の港湾部の海岸線は、さらに大きな変貌を遂げていく。

まず、川崎を見ると、鶴見線の終点・扇町の東側では、戦前から埋立・造成が開始された水江町・千鳥町に続き、昭和30年代には浮島町の埋立・造成が進められ、石油コンビナートなどの様々な工場や公共埠頭が建設された。

当初、この地区の貨物輸送は、各工場の専用線から付近を走る川崎市電・京急大師線を経由して国鉄の浜川崎駅に接続する暫定ルートが用いられた。京急電鉄と川崎市電は線路幅1435mmの国際標準軌、国鉄線はそれより狭い1067mmを採用していたので、京急大師線と川崎市電の一部区間を3線軌条にし、国鉄機関車が乗り入れ、輸送を行った。

しかし、このような変則的な輸送方式では輸送力に限界があり、1961年に浮島地区の造成が完了し、進出企業の操業が開始されれば限界に達するのが目に見えていた。また、浜川崎駅の貨物取扱量も急増していたが、同駅は周辺を大工場に囲まれ拡張の余地がなく、新たな操車場の建設が急がれていた。

「臨海鉄道」の名には意味がある

こうした背景から、1964年3月に塩浜操駅(現・川崎貨物駅)が開業し、同時に塩浜操駅と水江・千鳥・浮島の3地区を結ぶ貨物線3路線を保有・運行する神奈川臨海鉄道が開業したのだ。同社は開業前年の1963年6月に設立され、今年6月で創立60周年を迎える。

川崎貨物駅
川崎地区の拠点・川崎貨物駅全景(写真:神奈川臨海鉄道50年史より、2012年12月撮影)
神奈川臨海鉄道・川崎の路線図
神奈川臨海鉄道・川崎地区の路線図(画像:神奈川臨海鉄道会社案内より)

ちなみに、「臨海鉄道」という名称には特別な意味がある。当時、全国各地で臨海工業地帯の造成が行われ、内陸部への大量輸送体制の整備の必要性から臨海部における貨物線の早期建設が要請された。しかし、当時の国鉄の財政事情では、多額の建設費を負担しての早期建設には即応できなかった。

そこで国鉄法の一部を改正し、国鉄、地方公共団体、関係企業の共同出資(第三セクター方式)で地方鉄道法による鉄道の建設整備を進める制度が設けられた。これが、いわゆる「臨海鉄道方式」と呼ばれるもので、神奈川臨海鉄道は京葉臨海鉄道(千葉県)に次ぐ2例目として誕生。このような臨海鉄道は、全国に13社が設立され、現在も9社が営業している。

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