人工透析求め、原発の町から東京へ、避難者がつきつける重い課題(上)【震災関連速報】

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 到着時の避難所は電気が届かず、暖房もない状態。さらにラジオ、携帯電話の電波も届かず情報が寸断されていた。食事は1日3回配られるが、おにぎり1個、もしくはバナナ1本のみ、水は4人で2リットルという必要最小限のものだった。

高血圧などで体調が悪い人が車で搬送して欲しいと周囲に願い出ても、燃料不足のため応じる人はいない。発熱や嘔吐に苦しむ子供も多くいた。金澤さんは「避難所の環境は厳しい、ここで死ぬのではないか。放射能があっても自宅に帰りたい」と思うほどになっていた。

そこで、長男が東京にいる金澤さんの義姉の自宅へ行くことを提案。13日から3泊の川俣町での避難所生活を経て、16日の昼に長男の運転で夫と3人での東京まで約270キロメートルのさらなる避難を始めた。

高速道路は封鎖されており、国道4号沿いをひたすら進んだ。東京へ向かおうにも燃料不足と、大渋滞で身動きができない。車中泊を経てついに、埼玉県の越谷で燃料切れの赤いランプが点灯、ファミリーレストランでの停車を余儀なくされた。17日朝に救急車を呼び、義姉の自宅近くで透析治療をしている東京・大田区の東邦大学大森病院に到着した。「病院について義姉の姿を見てようやくほっとした」(金澤さん)。現在は東邦大学大森病院の近隣にある大森邦愛クリニックで週3回の透析治療を受ける。ただ、現在も夜になると足がしびれるなど、過酷な避難所生活の後遺症が残る。

金澤さんの夫(65)は元東京電力の協力会社社員で、全国の原子力発電所で23年間働いてきた。60歳で定年を迎えた後も、福島第一原発などで働いている。金澤さんは原発で働いている夫が身近にいることもあり、「原発がこんなに怖いものだとは思っていなかった」と漏らす。事の重大さにきづいたのは避難して様々な情報を見聞きしてから。避難当初はすぐに戻って来られると考えていたため着の身着のままで自宅を後にしていた。

浪江町は、町民の1万7800人が福島第一原発の30キロメートル圏外に避難している(3月23日現在)。仙台市や郡山市など、金澤さんの知り合いも散り散りになった。放射能の心配がなくなったらすぐにでも地元に戻りたいという思いは強い。だが、海岸沿いは津波で壊滅状態。「悲惨なものですよ。浪江町というところは」。金澤さんの表情は暗い。

週3回の透析が必要にも関わらず、治療を受けるのに時間を要した金澤さんの体験は例外的なものではない。東京で今回のような震災があったときにはどのようなことが起こるのか。(下に続く→こちら

(麻田 真衣 =東洋経済オンライン)

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