「東京でも働いていたことがありますが、稼いでいる外国人男性というパイが小さ過ぎて……。ワーキングホリデーでバンクーバーに行ってから、29歳のときにシンガポールに渡りました。現地採用なので私の給料は20万円ほどでしたが、シンガポールにいたからこそ若くて自由で稼いでいる日本人男性と巡り合えたんです。そのおかげで今の勝利があります!」
私は「人生の勝者」
千鶴さんは自らを「人生の勝者」と言ってはばからない。ほぼ一人で運営しているというネット物販業で成功した賢一さんに惚れられて、「経済的な自由と時間的な自由」の両方を手にした喜びが続いているのだ。ただし、それを「勝利」と表現するのは今どき純朴とも野暮とも言える。嫌味よりも可愛げやコミカルさを筆者は感じた。
当初は仕事が楽しくて結婚には興味がなかったという千鶴さん。投資銀行や一流企業で働く外国人たちと恋愛する日々。そのうちにインド人の既婚者と不倫関係になってしまう。
「最初は食事をご馳走になるだけのメッシーにしようと思っていたのですが、会話がむちゃ楽しくて本当に好きになってしまったんです。そのうち彼は本当に離婚調停を始めて、2つある不動産を元奥さんに譲り、3000万円ほどの年収の半分も50歳になるまで渡し続ける約束をして離婚しました。『君にはもうプラダもシャネルも買ってあげられない。海外旅行にも連れて行ってあげられない。それでも大丈夫?』と言われ、動揺して言葉に詰まった心境を彼に見破られました。34歳になっていたので結婚して妊活をしたいと思っていたのですが、高級ブランドを買ってもらえない生活も考えられません……」
シンガポールでは日本人富裕層向けのビジネスに携わっていた千鶴さん。客の一人として出会ったのが賢一さんだった。カッコ良くて面白い人だと好印象を持ったものの、仕事には熱心で日本人男性との交際を想定していない千鶴さんの眼中にはなかった。そこを乗り越えてきたのは賢一さんのほうだ。
「接待ツアーで私が引率をしたら、LINEで『今度ゴハンに行きませんか』と誘ってくれて、ようやく狙われていることに気づきました。まずは出張を装って東京で会ってみて感触を確かめました。そしたら、とても楽しかったんです!」
その2週間後に賢一さんがクアラルンプールに来ることを知っていての前哨戦だ。シンガポールに戻った千鶴さんはすかさず賢一さんに連絡。「週末だし、遊びに行くわ」とクアラルンプールで合流した。
千鶴さんの行動力に驚き喜んだ賢一さんは、興奮気味に「お付き合いしてください」と告白。滞在先をビジネスホテルからラグジュアリーホテルに移して交際が始まった。すべては千鶴さんの「計算通り」である。
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