中野区ー杉並区貫く「中央線」はなぜ一直線なのか 地図にまっすぐ線引いたというのが定説だが…
さらに、当時の蒸気機関車に必要な水の確保も路線決定の一因でもあった。東京都を形成する武蔵野台地は、関東ローム層でおおわれているため水はけがよく、水田には不向きと言われるほど水事情は良くなかった。江戸時代に江戸の町の飲料水を確保するため玉川上水が建設されたほどで、蒸気機関車に必要な水の確保も重要な課題だった。そのため、甲武鉄道は早い段階で立川での取水許可を得ていた。立川は多摩川から形成された立川段丘でできており、さらに立川崖線が通っているため湧き水も豊富だったからだ。
新宿から西に向かうためカーブを描いてきた路線が、東中野付近から最短で立川に向かう現ルートは、鉄道路線として最も効率がよく、人家のある場所を避けることで用地の取得も容易だ。そのため、現在の直線ルートが決定されたのではないだろうか。
この文章を作成するため、図書館などで文献を調べてみた。仙石貢の直線論や街道沿い住民の反対などは、様々な書籍で確認はできたが、正式な文献は発見できなかった。本当は最初から直線ルートが決まっており、営業面から街道沿いでないと集客ができないとの意見が出たのでは、とも考えられる。2022年で開業120年を迎えた中央線の歴史は、不明なことも多く興味が尽きない。
現在の中央線沿線
中野区と杉並区の中程を貫く中央線は、都心方面への足として古くから利用者の多い路線であり、沿線は現在も住みたい街で上位にランキングされる人気の地域である。
飲酒飲食などの食はもちろん、骨董などアンティーク系のお店やヴィンテージ系の古着などのお店も沿線に多いのが特徴である。
中央線の杉並区内では2つの歴史ある祭が有名で、高円寺では阿波おどりが1957年よりおこなわれているほか、阿佐ヶ谷七夕まつりはひと足はやい1954年より開催されており、楽しむことができる。
中野駅前には複合施設である中野サンプラザが1973年にオープンし、特にホールを使用したコンサートが有名で、音楽や演劇などで賑わう施設となっている。また宿泊施設もあり、多くの人々の利用があるが、建て替えの予定で数年後には駅前の景色も大きく変わるであろう。
中野といえばもうひとつ忘れてはならないのが、中野ブロードウェイで、中野のイメージとしてこちらを挙げる人も多いのではないだろうか。飲食を含め多くのテナントを有するブロードウェイは独特の雰囲気ながら、いつ行っても賑やかである。駅からこのブロードウェイに続くアーケード街も人通りの絶えない商店街となっている。
中央線の沿線が人気となっている舞台裏には街の魅力はもちろんのこと、交通の便の良さもあると思われる。中央線三鷹までの複々線化で電車の運行回数が多いうえ、地下鉄東西線への直通で乗り換えなしで都心部のアクセスは非常に良い点があげられる。